「改 地震に備える」H26報告書|信州大学
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33G7図3-3-G 揺れやすさマップと各地の地盤7 [並柳地区南北]断面並柳付近は、弘法山と田川、牛伏川に囲まれた低い土地だったとみられます。明治時代の図面には数個の池が書かれており、水田が多くみられます。このような低地に泥などの細粒な堆積物が厚くたまっているため、「建築支持基盤」は深くなっていますが、北側にむかってやや浅くなっています。この原因ですが、付近工事の際に北北西に伸びている弘法山の山塊が平地にも続いていることがわかり、そのために支持基盤が浅くなっているとみられます。─32─
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