2012環境報告書
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東日本大震災の被災地へ。医学部附属病院の対応。 医学部附属病院は、地震発生直後に対策本部を設置して災害時の救急医療に対応できるよう訓練されたDMAT隊*を派遣しました。その後、放射線測定チーム、医療救護班(長野県合同チーム)、心のケアチーム(同)と派遣し、附属病院内では被災地からの患者さんの受け入れ態勢を整え、放射線測定を実施し、学会など個々の医師派遣要請に可能な限り応えてきました。年末には全国医学部長病院長会議被災地医療支援委員会の要請を受けて、いわき市立総合磐城協立病院へ麻酔科医を派遣しました。 平成24年度も要請に基づく医師派遣等の活動は、継続されています。 2011年3月11日、午後2時46分に地震発生、その6分後に長野県から待機要請が発せられました。午後4時4分に厚生労働省からの出動要請を受けると、およそ30名程度の病院スタッフにより、すぐに医療機器、食糧、服装、通信機器、車輛等の準備が整えられ、午後4時40分には本学DMAT隊の第一隊が出動しました(医師1名、看護師2名、業務調整員2名)。 目的地までの道のりは厳しく、ルート変更や、降雪、亀裂など道路状況の悪化、さらに目的地変更(福島県→岩手県)の連絡を受け、指定参集場所に到着したのは、翌朝8時45分、ほぼ15時間を要しました(約690km)。 本学DMAT隊は、岩手県立宮古病院でトリアージポストの赤および黄エリアの診療および、域内搬送を担当。電気は自家発電、水はあってもトイレは使えず、手術室も機能せず、使える通信手段は衛星携帯電話のみという現場で、先に到着していた信州上田医療センターのDMAT隊や宮古病院の職員らと共に医療活動を行いました。今回は岩手、宮城、福島と隣接する3県にDMAT調整本部が置かれる大災害であったために、DMAT隊末端までの情報制御に課題もありました。しかし附属病院からのバックアップやこれまでの訓練で築かれた長野県内他病院の隊員らとの信頼関係もあり、訓練の成果が十分に発揮された活動となりました。 地震発生翌日の午後4時、福島第一原子力発電所で爆発事故が発生。附属病院では3月14日早朝に放射線災害対策委員会を設置しました。同日、文部科学省から緊急被ばく医療チームの派遣要請を受け、医師、◎特集1◎ 震災への取組み●DMAT隊派遣2011.3.11~3.16 2チーム派遣被災地活動期間:2日間*支援先:第一隊は岩手県立宮古病院 第二隊は仙台医療センター●放射線測定チーム派遣2011.3.15~3.18 1チーム派遣主な活動期間:2日間支援先:福島県田村市スクリーニング第一隊。岩手県立宮古病院にて*DMAT隊:ディーマット隊。 DMATとは、「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義されており、災害派遣医療チームDisaster Medical Assistance Team の頭文字をとっています。5

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