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"リーダーとリーダーを求める人"(2010.3.2) 

著者
大野雄三教授

近頃、街の書店では幕末、明治初期にかけての日本の大変革期のリーダーに関する本が平積みになっている。 政治、経済、社会に閉塞感のある時代には、このような歴史上のヒーローの本がよく売れるらしい。 所謂「英雄待望」の兆しであろうか。 しかし、国民や民族の大多数が1人(または少数)の大指導者や英雄の出現を望むというのは決して幸福な状態ではなかろう。
 リーダーシップ論の古典といわれるマキャベリの『君主論』では リーダーの3条件として「力量」、「幸運」、「時代への適合性(時代の要請に応える。)」を挙げている。筆者はこの3条件のうち最後の"時代への適合、要請に応え"るが一番重要であると考える。何故ならば、リーダーは先験的にリーダーになるのではなく、その時代の民衆(フォロワー)が創り出すものではないかと考えられるからである。

 古来、経営学の分野に限らずリーダーの共通の資質を抽出しようと多くの学者、研究者が試みてはいるもののいまだに明確な成果は確認されていない。  その時代時代によって人々が求めるものが違う以上リーダー像も千差万別、また英雄、偉大な指導者といえども生身の人間で一人で様々な顔をもっている。 峻厳であるが寛容、果断であるが慎重、冷酷であるが慈愛に満ちるなど相矛盾する性格が同居することがあるし、周りにいた人間との相性(好き、嫌い)もあったであろうから、共通の資質を法則的に導き出すのは不可能であろう。 唯一の共通点は「その人に多くの人が就いていった(多くのフォロワーがいた)」という事だけであった。

 それでは、どのような人物にフォロワーはついてゆくのであろうか? 企業社会のリーダー特質は、論理・弁論(説得力)が重視される欧米型と、包容力など人間関係中心の東洋型に分けられるように思われる。 これは、欧米は個々人が神との約束関係で生きてゆくなかで、他者をある方向へ導くためには説明、説得が必須であったこと、或いは、多様な民族間で、競争、共生するなかで自己主張せざるを得なかったのではないかと思われる。 他方、東洋(日、中、韓の北東アジア)では、儒教の影響からか、人の上に立つ者は、多くを語るのではなく他者への理解、包容する出来る器量が重視され、トップはある種、象徴的存在で実際の実務は、能力のある人材を見出し任せるというタイプが多かったように思われる。 中国の故事に曰く「士大夫は己の志を知るもの為に死す」である。  しかしながら、これも一面的であり、実際は組織の成熟度やメンバーの習熟度などによってリーダーに求められる資質は異なってくるし(Situational Leadership理論)、組織の規模(日常的にメンバーと直接コミュニケーションが取れる規模)と、組織が拡大し分業体制が進んだ組織ではそれぞれの規模に応じてリーダーの在り方も変わってくる。

   いずれにしても、リーダーの在り方を一律に抽出することはできないが、経済・社会の変革期で価値観も多様化している今日、とりわけ閉塞感のある企業社会においては、数多くのイノベーションが期待される。求められるのは多数の小規模組織のリーダーの出現で、決して少数のリーダーに大多数の人々が就いてゆくことではない。  即ち、イノベーションは、いつも個人か、小さな組織から生まれてくるからである。 どのような時代であっても、リーダーにとって必要なのは、その人の持つ志(ビジョン)、情熱(パッション)、実行力(アクション)であることは確かである。


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