「宇宙のはじまり」に迫り、30年に渡る素粒子研究の知見をAIに

信州大学理学部 竹下 徹 特任教授

 竹下 徹特任教授は、スイスにあるCERN(欧州合同原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で行われている国際共同プロジェクト「ATLAS実験」に参画する研究者です。ヒッグス粒子の発見に貢献したATLAS実験は、世界38ヶ国、181の大学・研究機関から約3,000人もの研究者が参画しています。その一人である竹下特任教授は、これまでの素粒子研究の知見を活かしながらAIを用いたヒッグス粒子の解明に挑んでいます。

 ー 先生の研究について教えてください。

 私の専門は「素粒子物理学」です。素粒子物理学は、「宇宙のはじまり」について探る学問でもあります。宇宙はどのようにしてはじまったのか、地球は何でできているのか、まだまだ分からないことだらけです。私が参画している「ATLAS実験」は、LHCという巨大な加速器で、粒子と粒子を超高速でぶつけ、「宇宙のはじまり」を人工的に再現する実験です。粒子と粒子がぶつかった瞬間に起こるさまざまな事象を観測し、捉え、解析することで、宇宙がどのようにはじまり、我々の体がどんな基本粒子からできていて、それらの間にどのような相互作用があるのかを解明することが目的です。
 ATLAS実験の最大の成果は、2012年のヒッグス粒子の発見でした。ヒッグス粒子とは、物質が「質量」を持つ理由となる素粒子です。私はいま、ヒッグス粒子と「トップクォーク」(※)との関係性を研究しています。トップクォークは、最も重い素粒子。ヒッグス粒子は、質量の重さに比例して素粒子との結合が強くなるため、トップクォークとは最も密接な関係にあります。トップクォークとヒッグス粒子の結合の強さや関係性を調べれば、ヒッグス粒子の性質解明につながり、ひいては「質量が生まれる謎」に迫ることになるのです。

(※)物質を構成する基本粒子である 6種類のクォークの一つ


 ー 今回、AIを活用した実験を予定していますが、その理由を教えてください。

 衝突実験の中から得られるデータは膨大です。その膨大なデータの中から、何がヒッグス粒子とトップクォークに関わるものなのか、判別しなければなりません。ですが、人の手では到底選びきれない。なので、取捨選択のためのプログラムを造り、世界中のコンピュータを使って解析するのですが、データを選びきるだけで3日近く待つこともあります。バグが生じることもよくあります。一方、AIであれば、データを覚えさせトレーニングすれば、我々がやりたいことを高い確率ですばやく、高効率で実現できると期待しています。
 実は、20年程前にもAIを使った解析に挑戦したことがありました。当時はニューラルネットワークと呼ばれていましたが、その頃はまだ、今ほどハードウェアの性能が高くなく、あまりいい結果は出ませんでした。それが、今はハードウェアの急速な進歩によって、AIの性能も飛躍的に向上しています。社会的にも、今、さまざまな所でAIが活用されていますよね。ATLAS実験では、すでにAIを活用した解析が行われ始めています。であれば、我々ももう一度、AIでの解析にチャレンジしてみようと思ったのです。


スティック型PC。AIでの解析に使おうとしている専用のGPUはこの数十倍の処理能力を持つ

 ー 竹下先生は初期メンバーとして「ATLAS実験」に参画していますが、その経緯を教えてください。

 私が信州大学に着任したのは、約30年前のことです。それ以前は、東京大学の附属施設に所属し、スイスやドイツにある加速器研究施設に赴任していました。大きな組織の一員から一人ポツンと信州大学に来ましたから、一度、これまでのキャリアはすべて忘れ、自分自身の能力でできる研究をやろうと思いを巡らせていたのです。ちょうどその頃、発足したのがATLAS実験でした。自身の研究の方向性を探っていた頃でしたし、ATLAS実験のことは関心もあり個人的に調べてもいましたから、知り合いの研究者から「一緒に参加しないか」と誘われたときは、即座に「やります」と答えました。
 ほぼゼロベースの所からATLAS実験に参画できたことは、非常に幸運だったと思っています。LHCの建設から、どのような実験をどういった形で行うのかまで、さまざまな企画やアイデアを出しながら、世界中の研究者と議論を重ねました。LHCの建設に約20年、稼働を始めてから約10年。発足から30年が経過しました。ATLAS実験には世界各国から約3,000人もの研究者が参画していますから、LHC建設時は互いに協力し合っていた研究者も、今では切磋琢磨し合う競争相手です。今後、さらに衝突頻度を高める計画があり、それに伴う加速器のアップグレードも予定されています。ATLAS実験も次のフェーズへと移行を始めています。


竹下特任教授の研究室。データ解析をしている画面を見ながら

 ー この研究のゴールは、やはり「宇宙の起源を知ること」でしょうか。

 そうですね。最終的には、宇宙のはじまりがどんなものであったのかを知ることがゴールだと思っています。私はヒッグス粒子とトップクォークの関係性を探っていますが、ATLAS実験に参画するほかの研究者たちは、ヒッグス粒子だけでなく、別のさまざまな素粒子を追っています。宇宙の起源について、すべてを知りえることはできないかもしれませんが、たどり着きたい。しかし実験は地道なものです。さまざまな実験を企画し、得られたデータを一つひとつチェックしていく。それが我々「宇宙をつくる実験屋」の役割です。
 実は、私はもともと、学生の頃から宇宙の研究がしたいと思っていたのです。研究室も宇宙に関わる所を選ぼうとしましたが、選考で落とされてしまった。そんな私を採ってくれたのが、素粒子物理学の研究室でした。当時は、物理学を専攻する学生らしい、純粋な気持ちで宇宙に憧れを抱いていたように思います。その思いを胸に研究を続けていくうちに、ATLAS実験が始まり、「素粒子物理学は宇宙をつくる学問だ」という共通認識が生まれ、今は、宇宙のはじまりについて探求している。巡り巡って、私が最初にやりたかった「宇宙」に辿り着いたのだなと思うと、何だかうれしいですね。