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つじ りゅうへい

辻 竜平

 教授

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4.その他の活動

『中野俣集落誌』の刊行

 中越地震の被災地に通い始めて5年近くなる.私の場合は,旧栃尾市(現長岡市)を主な調査地としていた.栃尾の中ではいくつかの集落でインタビューを継続的に行ってきた.中でも中野俣地区では,お祭り,地区運動会,等々,特に足繁く通い,地域の人たちにも知己を得た人が多くなり,そのうち訪問するたびに里帰りをするような気分になってきたものだった.
 中野俣地区は,中越地震の被災地の中でも,おそらく地域の活発さという点においてはきわめて高い方ではないかと感じていたが,その中野俣地区で,このほど『中越大震災復興記念 中野俣集落誌:災害を越えて伝えるふるさと』が刊行された(非売品).

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 見開きA3サイズで340ページほどもあるその内容は,まさに圧巻である.
 目次の前に,泉田新潟県知事,森長岡市長,平山前知事,編集委員長で公民館分館長の大島さんの刊行に寄せる文章がある.目次に続いて序章があり,私が寄稿した文章と,同地区の出身で「第1回新潟市ふるさとへ贈る手紙」の優秀賞受賞作品である今溝さんの文章(手紙)がある.
 続いて第1章は「中越大震災全戸の記録」である.何と「全戸」である(正確にはきちんと対応をとって確認したわけではないが,おそらくほぼ全戸であろう).中野俣地区は,それを構成する3つの集落,西中野俣,繁窪,新山(あらやま)の総称であるが,戸数は3集落で昨年9月現在188戸ある.これだけ多くの家々の全てから記録を集めることは,ものすごく大きな仕事であることは言うまでもない.各家から1人寄稿してもらった文章か,元県職員で環境行政にも関わって来られ当時から中野俣に縁のある森林インストラクターの本間さんが,何度か数人ずつに集会所などに集まってもらってインタビューをされた記録かのどちらかが載っているのである.本間さんとは何度か出会いお話をしたことがあるが,中野俣のことを本当にずっと思ってこられたという誠実さがにじみ出ている方である.何度も何度も繰り返しインタビューをするのは,本当にたいへんな仕事だったと思われる.敬意を表する以外にない.
 この本の特徴は,第1章の震災の記録で終わらないところである.第2章は「自然と農業」,第3章は「歴史と風俗」,第4章は「伝説・昔話・遊びうた・伝統芸能」となっており,3つの集落の生業である農業と,そのもとになる自然などの地域の地理,歴史や文化といったものが紹介されている.その内容は,昭和50年代にまとめられた『栃尾市史』からの借用もあるが,書き下ろされたものも多い.この地区が,昔からとても文化的に豊かな地域であったことがよくわかる内容である.これらの章は,ただ何となく存在しているわけではない.震災の記録も,地理・歴史・文化の記録も,そこに住む人々の現在のアイデンティティを形成しているもとになるものなのである.
 第5章は「災害と政(まつりごと)」,第6章は「地域と学校」である.ただし,第5章では,中越地震のことだけが中心となっているわけではない.この地域に古くから起こった地滑りなどの災害の記録から入り,中越地震へと続く災害史である.これは私の推測に過ぎないが,江戸時代の開村以来地滑りや大雪といった被害に悩まされ続けてきた中野俣の人々は,災害対策をとおして集落の絆を深めてきたのではないだろうか.また,そのような創意工夫は文化を高めることにもつながり,独特の遊びうた,盆踊り唄,伝統芸能などを生み出すことになったのだろう.学校とは,同地区にある中野俣小学校のことである.私は,この震災を研究し始めて強く思ったことは,地域の学校を維持することの重要性であった.旧栃尾市の中で被害が比較的大きかった地域を見ると,地震までに小学校が廃校となってしまっていた地域が軒並み復旧・復興に苦労しているのに対して,この中野俣地区について言えば,明らかに先行きの明るさが感じられるのである.(もっとも,一軒一軒を取ってみれば,たいへんなご苦労のあるおうちも多いとは思う.)一昨年,小学校で行われた地区運動会を見学しに行った.また,時折小学校を訪問した.そのときに,児童やPTAのお母さんたち,3集落の区長さんたち,ほか地域のたくさんの人たちが,何かにつけ小学校に集まり,そこを舞台として活動する姿を見て,小学校という存在の大きさを肌身で感じた.地震の後,廃校の危機にあった小学校を救うために,区長さんたちをはじめ,多くの方々が努力されたことがよくわかる.私が感じる以上に,当地の人々は小学校の存在の重要性を認識されているからだと思う.
 第7章は「後生へ語り継がれる地域の偉人」である.これは,江戸時代の人物から現代の人物に連なる人物史である.これもまた,偉人をとおして地域のアイデンティティを確認できる絶好の素材であると言えるだろう.また,自らの出身地にゆかりのある偉人は,当地の人々の励みになるだろう.そして,付録として中野俣地区の地図が載っている.まさに地域全体を鳥瞰しながら終わるのである.
 この本の内容は,地震と地理・歴史・文化を波のように行ったり来たりするような構成になっている.単なる編集のミスかというと,おそらくそうではない.それは,われわれが現代を感じる感じ方そのもであるように思うのである.この心地よい波動に乗りながら,地域の人々はそれぞれに地域の住民としてのアイデンティティを感じることができる構成になっているように思うのである.
 さて,この本が,今春まで中野俣小学校で校長を務められた富澤先生のアイディアと編集のたまものであったことは特記しておいてよいだろう.この本にはそんなことは書かれていないが,当地の人々は,そのことをよくわかっているはずである.小学校という場があったからこそ,原稿を読み,適宜校正を入れるといった作業を行う知的エイリアンである小学校長がいたからこそ,この偉業は成し遂げられたのである.
 最後になるが,私の率直な感想を述べておきたい.このような大著がなったことは,(私自身は何も貢献していないが)私のこれまでの研究生活において最も喜ばしいできごとの1つであったと思う.中越地震の被災地は,私の研究対象であったわけだが,研究対象は単なる「物」ではなかった.社会学の黎明期の大家であるデュルケムは,「社会をもののように扱え」と言ったというが,それは私にはできなかった.社会学者としては失格かもしれない.しかし社会学者とて人の子である.自分の研究は道半ばでも,自分の故郷のように思えるようになったかの地が,「復興記念」と題して出版物を刊行することができるようになったことは,大きな喜びである.研究を始めた当初は,このような本が出版されることになるとは思ってもみなかったが,しかしともかく復旧・復興の過程を見届けたいと思っていた.まだまだ終わっていないという見方もあろうが,この出版は大きな区切りの1つである.この本は1つの地区の出版物とは思えないほど重量があるものであるが,その重量以上に中野俣地区の復興の力を感じ,当地区の復興を素直に喜びたい.

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