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大串 潤児

歴史学 教授

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こんなことしています(授業など教育) ゼミの活動

越後紀行-09年・夏合宿

越後紀行-09年・夏合宿

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2009年8月29日より、日本近現代史ゼミ夏合宿が始まりました。今回の目的地は、新潟県。ゼミ旅行の目的は、1)日本最大の地主制地帯である新潟県 で、近代日本の社会構造の根幹である地主制について実感的に学ぶこと、2)全国的にも著名な小作争議である木崎村小作争議関係史料を閲覧、関係地を訪ねる こと、3)旧城下町で近代にあっては連隊が置かれ、戦後も自衛隊駐屯地もある新発田市を踏査すること、の3つでした。3)は、自衛隊駐屯地内資料館が工事 のため見学できないとのことで、合宿中に急遽計画を変更し、長岡空襲について勉強することになりました。

主要に訪ねた場所は、(1)新潟県立歴史博物館、(2)新潟市豊栄博物館、(3)長岡戦災資料館、(4)北方文化博物館(旧伊藤家)です。


初日、薄曇りのなか松本を出発、上信越道・北陸道・関越をへて午後長岡市に到着。すぐに新潟県立歴史博物館に向かいました。途中、松本を発つときには薄曇りでしたが、日本海(東海)が見えた頃にはよく晴れていました。美しい海を見ながらの食事が出来ました。

◆新潟県立歴史博物館
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新潟県立歴史博物館。

今年の大河ドラマ「天・地・人」に関連して県立歴史博物館では直江兼続を中心とする企画展が行われていましたが、日本近現代史ゼミは常設展の、とくに昭和30年代・高田(上越市)の「雁木(がんぎ)通り」街並み展示(雪と暮らし)がメインの見学テーマです。

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「雪とくらし」への導入路-涼しげでした。


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上越市・高田の「雁木通り」再現展示。


「昭和30年代初頭の冬の高田(現上越市)の雁木通りを、実物大で復元しました。・・・・通りには、荒物・雑貨屋、一文店(駄菓子屋)と下駄屋の3軒が復元してあります。」(『新潟県立歴史博物館 常設展示図録』2001年)。


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雪の通り、上面から。

「道路には屋根から下された雪が、近所の邪魔にならないようにきれいに積み上げられ、その高さは家の2階程にもなります。また、道路の中央には物資を運ぶソリの道が造られました。」(『新潟県立歴史博物館 常設展示図録』)


米と暮らしについての展示も充実していましたが、特徴的であったのは「近代新潟の女性-活躍する女性たち」の箇所であったと思います。自由民権運動 (「西巻開耶(にしまきさくや)の男女同権演説」)、和田村小作争議のなかでの女性たち、婦選獲得運動から戦後の活動までなかなか充実していたと思いま す。

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「雪」「米」と地域の歴史性を押し出した展示は見事なものでした。社会運動(小作争議)・女性史・大衆文化史などへの目配りも充実していたと思います。 ただし、戦争の問題については、「満州移民」の展示があったものの、事実上「長岡空襲」の展示のみであり、「雪」と「戦争」=軍都・高田、新発田といった 地域と戦争の視点が今後の焦点になっていくと思いました(河西英通「地域の中の軍隊」『岩波講座 アジア・太平洋戦争6 日常生活の中の総力戦』岩波書店 2006年)。


「歴史」展示のエピローグは、「日本海」(韓国で「東海」)を囲む諸国・諸民族の「あいさつ」でしめられていました。
日本近現代史ゼミの日本出身の大学生・韓国からの留学生、ドイツからの留学生。今後、どのような国際(いや民際)交流を作っていってくれるのでしょうか。

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県立歴史博物館を後にして、一路、寺泊へ向かいます。魚の美味しい、夕焼けがきれいな、佐渡への一つの玄関口でもある港町です。


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寺泊の美味しい魚・の舟盛り。        留学生の報告。

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誰? その2                  恒例?! 素人演芸会。

合宿2日目、あいにくの曇空。弥彦山を右手に、左手には佐渡を遠くに見ながら新潟市横越・豊栄方面に向かいます。
先ずは旧伊藤文吉家・北方文化博物館を見学。1千町歩を超える県内屈指の地主の旧宅です。


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伊藤文吉家(北方文化博物館)の門構え。


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邸宅の結構など解説をして下さいました。


◆木崎村小作争議

午後は、豊栄に向かいます。合併により現在は新潟市北区となっていますが、旧木崎村を含む地域です。新潟市豊栄博物館では、木崎小作争議関係の史 料を見学しました。全国的にも著名な木崎村小作争議(1922年から)は、「単なる小作料をめぐる争議ではなく、『人間として認めてみとめてもらいたい』 と切望した小作人の政治・教育・農村経営などの民主化を目指した運動でもあった」(豊栄博物館学芸員・曽部珠世さん)。「無産農民学校」などの試みが特徴 的な社会運動です。

豊栄博物館には、小作争議に深くかかわった弁護士・井伊誠一氏の秘書であり社会党の代議士でもあった阿部助哉氏旧蔵の文書・671点が寄贈されています。1997年3月、豊栄市の指定有形文化財に指定されました。
当日は、基本的な文書の実物をまじかに拝見でき、争議の概要と特徴、史料群の概要と所蔵の経緯、主要な史料について学芸員の曽部珠世さんからていねいな解説をして戴きました。


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阿部助哉文書と曽部さん。


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文書中のポスター(木崎争議のものではない)。


木崎村小作争議関係のモノ史料(「無産農民学校西入口看板」など)は近くの「横井の丘 ふるさと資料館」に展示してあります。休館日にもかかわらず御好意で見学をすることが出来ました。


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「横井の丘 ふるさと資料館」。


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木崎村小作争議展示。


阿部助哉文書は目録が出来ており、重要な史料は『豊栄市史』資料編3近現代編(1993年)に収録されています。農民たちの文化活動については、合田新 介『木崎農民小学校の人びと』(思想の科学社1979年)が基本的文献であり、また、木崎近隣の農民組合医療活動(葛塚医療同盟)については葛塚医療同盟 を記録する会編『長靴の医療 葛塚医療同盟の記録』があります。


田圃のなかの細い道を走っていきます。木崎村小作争議記念碑および農民学校碑はひっそりと田地のなかに建てられていました。


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豊栄から城下町・新発田に向かいます。「水の公園 福島潟」「県立 環境と人間のふれあい館」(新潟水俣病資料館)「蕗谷虹児記念館」など見学したい箇所はいくつかありましたが、あいにく閉館時間だったり、休館日だったり。
新発田の夜は、ゼミ参加者みんなで愉しいひとときを過ごしました。


3日目、新発田を発ち、高速道路を使って一路長岡へ。長岡戦災資料館を訪ねました(2003年開館)。行政と市民ボランティアが一緒に作り上げていくを 理念に、「平和の尊さを伝える市民活動の場」として開設されました。急な御願いにもかかわらず、ボランティアの山谷恒雄さんが、丁寧に解説およびお話しを して下さいました。

◆長岡戦災資料館

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市内目抜き通りを少し入ったところにある資料館。


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「一枚一枚の遺影にも、一人ひとりの物語がある・・・・」、お話しする山谷さん。


長岡空襲犠牲者の遺影収集は2007年より開始され、現在200人を超えるまでになっています。家族単位で掲げられている遺影一枚一枚の背後にある「経験」に想いを馳せること、山谷さんのお話しです。


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展示資料の解説もして戴きました。

長岡空襲は1945年8月1日。長岡は新潟県第二の都市(人口、およそ7万4千人)、15年戦争を通じて軍需工業都市化を進めてきた地域でした。 B29・125機によって投下された焼夷弾は925㌧、およそ163,000発に上ったといいます。死者数は1,476人。同日、富山・水戸・八王子も空 襲を受けました(『太平洋戦争と長岡空襲』長岡戦災資料館2006年)。

また現在では「もうひとつの戦災」として7月20日、長岡近郊の左近町に落とされた模擬原子爆弾(パンプキン)についての記録・検証・建碑も行われています(『左近の爆弾 長岡に投下された模擬原子爆弾』長岡戦災資料館2008年)。

長岡空襲の基本文献は、編集委員会編『長岡の空襲』(長岡市1987年)ですが、「記憶の共有」「語り継ぎ」にも注目した新潟日報社編・関田雅弘『長岡空襲』(新潟日報社2009年)が刊行されています。


柏崎刈羽原発も望める米山PAにて昼食、留学生を交えての「しりとり」などで盛り上がったクルマもあり、午後5時近く、無事、松本に到着しました。

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柏崎の海・09年・夏。

合宿係の加藤泰輔くん、運転手の皆さんはじめ関係者に感謝します。また、行く先々でお世話になった皆様、記して感謝致します。ありがとうございました。「素人演芸会」コスプレ担当の皆様お疲れ様!

 

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