日本近現代史ゼミ・08年沖縄合宿
「守礼之門」にて。
2008年2月4日、前日来の雪で東京の居宅の前もすっかり銀世界でした。松本から、長野から、さまざまな場所から集まってくる学生たち、無事に羽田に着くことができるだろうか?心配事からこの春合宿はスタートです。
10:00に浜松町のモノレール改札口で、10:30羽田に着く頃には全員無事に集合することが出来ました。荷物をあずけて沖縄・那覇に向けて出発です。
では出発。
今回の合宿には、日本近現代史ゼミの学生(8人+留学生2人)、日本史の他のゼミの学生(5人)、西洋史の学生(2人)、その他の分野から(1 人)の合計19人が参加しました。修学旅行で沖縄に行ったことのある学生も何人かいますが、多くは今回が初めての沖縄行きとなります。この合宿で は、(1)同世代の学生の案内による沖縄戦争関連史跡の巡見、(2)琉球大学との合同ゼミナールの開催、が主なスケジュールですが、07年度教科書検定問 題を受けての沖縄戦認識を率直に学生たちが議論してみること、高校までの「平和教育」では受けとることのできない学生=同世代同士の議論を期待していまし た。
前近代史を専攻している学生たちには高良倉吉『琉球王国』(岩波新書1993年)を日本近現代史ゼミの学生には中野好夫・新崎盛暉『沖縄戦語史』(岩波 新書1986年)・新崎盛暉『沖縄現代史』(岩波新書1996年)をそれぞれ読んできてもらっています。また、戦争経験や平和教育を考える視点として下嶋 哲朗『平和は「退屈」ですか』(岩波書店2006年)も大事な参考文献となりました。
手もとには『新装版 沖縄修学旅行ハンドブック』(安仁屋政昭監修、平和文化2007年)を持っての旅となりました。日本近現代史ゼミの2年生は、合同ゼミで、単なる沖縄戦のみに止まらない沖縄戦後社会・文化・女性史の報告をすることになっていました。
個人的には、合同ゼミナール前の自由時間を使って、まだ行ったことのない佐喜眞美術館を訪ね「沖縄戦の図」を見ること、も今回の旅の大事な目的でした。
ANA127便は定刻通り羽田を離陸、朝が早かったためか機中では皆さん熟睡していました。那覇には15:00には到着、早速レンタカーの手配に向かいます。初日は、ホテルにチェックインするまえに首里城を訪ねました。
首里城正殿前にて。
今回は、読谷村に行くコースはなく、世界遺産でもある多くのグスクを見ることが出来ません。前近代史専攻の学生には申し訳ないことをしました。
1日目の夜は、国際通り松尾にあるホテルから少しあるいて行ったところの「安里屋」さんで食事をしました。美味しい琉球料理と「泡盛」を楽しみました。
2008年2月5日。沖縄はあいにくどんよりとした曇り空、いまにも雨が降りそうな朝です。琉球大学の赤嶺玲子さんと待ち合わせをして、今日は、彼女の案内で沖縄戦関係史跡・資料館の巡見です。
赤嶺さんは、05年春のゼミ合宿でもガイドを頼んだ学生です。出来あいの解説ではなく、「自分のことば」で伝えようとするとても印象に残る案内 だったので、忙しいなか今回も案内役をお願いしました(合同ゼミでの報告もお願いしました)。「ひめゆり」の方々と高校生・大学生のあいだのサークル・ 「虹の会」で頑張っていて、沖縄戦の経験をいかに伝え、かつ受けとめていくのかについてとても大切な仕事をしている女性です(『平和は「退屈」です か』)。でも、ゼミの学生と同じ「ふつうの若者」(!?)なんだろうと思います。
くるまは那覇を離れ玉城村の糸数アブチラガマに向かいます。アブチラガマについては石原昌家『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』(集英社新書2000年)が手ごろな文献です。
南部観光総合案内センターでの解説。 ガマ入口での赤嶺さんのガイド。
かつては自由に出入りできたのですが、現在は見学には事前予約が必要になっています。
アブチラガマに入る。 ガマのなかでの赤嶺さんのお話し。
赤嶺さんは、ガマのなかでは、アブチラガマの概要、沖縄戦との関係、さらには平和学習でよく行われる「暗闇体験」とその意味など多くの重要な問題 を話して下さいました。聞いていての感想ですが、今回のガイドのキイワードは「想像力」。史料・資料で明らかなことと、そのうえで戦場を想起する想像力の 大切さ、が印象的でした。
お昼になると雨脚が強くなりました。食事を済ませて、ひめゆり平和祈念資料館を訪ねます。
ひめゆり平和祈念資料館は修学旅行生でゴッタかえしていました。「きみはここの何を、友達や親に伝えたいか。」(『平和は「退屈」ですか』のなか での問いかけ)、若干アレンジして「きみはここの何を、一番大事な人に伝えたいですか?」、私のくるまに乗ったメンバーに出した小さな、でもとても大事な 宿題です。
ひめゆりの方のお話しも聞くことが出来ました。みんなは、どんなふうに聴いたのだろうか?これからの宿題として話しあって行きたいことです。
摩文仁の平和祈念公園の向います。韓国からの留学生がいることもあって、真っ先に「韓国人慰霊塔」に行きました。
残念ながらここで雨脚が激しくなり、「平和の礎」や基地の見学を諦めざるをえないことになりました。冬の沖縄にあってもかなりの量の雨だったそうです。 県立平和祈念資料館を見学、本来ならば「平和の礎」前でする話しをピロティーで聴き、質疑応答。明日の合同ゼミナールでの再会を約して赤嶺さんとはここで お別れです。
この日の夜は各自で食事、明日の報告に備えて打合せをするグループ、カチャーシーで盛り上がったグループもいました。
留学生もおおもりあがり。
→「その2」http://fan.shinshu-u.ac.jp/kyouin/ogushi/archives/post_37.htmlに続く。