大学院案内

研究科長あいさつ

早坂俊廣
信州大学大学院
人文科学研究科長
早坂俊廣

 まもなく平成が終わろうとしている喧騒のなか、この文章を書いています。今から思えば、私は、昭和から平成へと移り変わる年度に大学院に入学したことになります。これも後から知ったことですが、当時は「バブルの時代」だったようです。そんな時代にどうして大学院に進もうと思ったのか、記憶は定かではありませんが、とにかくもう少し中国哲学を究めたい、という程度の理由だったように思います。要するに、大学で「知の世界」にふれた感動、その高み・深みへの憧れが進学の動機だった......こう書くと、ずいぶん素朴で呑気な学生だったようにも感じますが、そういった感動や憧れは、形こそ変わったものの、今でも自分の中に息づいていると確言できます。
 「形こそ変わったものの」ということが喜ばしいことなのかどうかは分かりませんが(昭和末年の自分に聞いてみたい気がします)、形が変わった理由は、自分が「専門家」になったからなのかも知れません。大学院は、「知の世界」に専門家として立ち向かえるよう研鑽を積む場所です。形を成さない「感動」や「憧れ」、あるいは「驚き」「義憤」等々を、誰もが確認できる形に整理し直し、それらの意味や構造・背景等を誰もが理解できるように指し示す――こういった技能が無ければ、「専門家」とは呼べません。言い換えれば、「何を」研究するのかということ以上に、「いかに」研究するのかが厳しく問われるのが「専門家」である、ということです。「技能」とか「いかに」とか書きますと、何だか表面的なテクニックのことのように感じるかも知れませんが、そうではありません。この「技能」「いかに」を軽視することは、知的誠実さを欠いた悪しき所業であると私は考えます。
 時代は変われど、「知的誠実さ」の価値が減ずることはありません。大学院という場所で、知的に誠実であろうと自らを律する訓練を積むことの意義も、今後ますます増していくことでしょう。こういった訓練によって養われる技能は、自立した市民であるための基礎的素養でもあるからです。素朴な好奇心を大切にしつつ、知的に誠実であるための技能を身につけたいと考える人を、信州大学人文科学研究科はお待ちしております。

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