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対談「今求められる研究者の倫理観」対談「今求められる研究者の倫理観」

研究者の倫理教育が確立しているアメリカで、23年間の経歴を経て、日本における倫理教育の必要性を痛感した、当時東海大学医学部の市川家國教授。アメリカで広く使用されている倫理教材・CITI Programを日本に取り入れるべく、2005年に「NPO法人日米医学教育コンソーシアム(JUSMEC)」を設立した。対する福嶋義光教授は、信州大学医学部において、専門外である倫理教育を担当するなかで、身をもってそのCITI Programの素晴らしさを実感したという。このふたりが、このほど、5年間の倫理教育プロジェクト「研究者育成の為の行動規範教育の標準化と教育システムの全国展開(CITI Japan プロジェクト)」を企画・立案し、文部科学省の「大学間連携共同教育推進事業」として採択された。今回は、その経緯や背景、日本の倫理教育における現状、本プログラムへの強い熱意や今後の目標を聞いた。

おふたりがそれぞれCITI Programを知った背景を教えてください。

対談の様子01 市川 : 僕は大学を卒業してから3年ほど日本で小児科に勤め、その後アメリカに渡って、23年間、向こうで研究や臨床を行っていました。アメリカで実感したのは、とにかく教育の進歩が早くて、10年もすれば全く違う教育が取り入れられているという点です。そこで、アメリカから日本に輸入すべきものがあるはずだという思いを持って、1998年に帰国し、東海大学に赴任してからも1カ月に1~2回は渡米して、さまざまな勉強や仕事をしつつ、日本の仕事も行っていました。そんな中で、アメリカで「CITI Program」という教材作りのプロジェクトに呼ばれたんです。アメリカの大学では、研究者の倫理教育は、研究者自身と、倫理や専門教育といった文系の専門家がnegotiate(交渉)して作っていきます。つまり文系の人は社会を代表し、研究者は研究を代表して、お互いに接点を見つけて教材を作っていきます。私はその研究者側のひとりとして、プロジェクトに参加しました。

そのプロジェクトに呼ばれた背景には、当時アメリカで使われていた教材が非常に面白かったのに対し、日本の現場では随分とアメリカの新しい教育が届いていないという実感がありました。「日本にもアメリカのような教材があったら便利だろうなぁ」という思いが頭に浮かび、教材の作者にいきなり電話をかけて根掘り葉掘り聞いているうちにリクルートされたという経緯があります。

実際に僕自身、2000年のはじめに、東海大学の大学病院で、教授として非常につらい医療事故を体験して、つくづく医療安全教育教材が足りないと実感していましたし、ほかの領域でも足りていないものがあると感じていました。でも、その一方で、僕は倫理の専門家ではないから、倫理教育の機会を作るためにはどうしたら良いかと考えていたのです。そして思いついたのが、ネット(e-learning)教材の作成でした。それからアメリカ留学時代に知り合った日本人の仲間を中心に、2005年4月にNPO法人「JUSMEC(日米医学教育コンソーシアム)」を立ち上げたんです。その活動のひとつが倫理教材への取り組みでした。

対談の様子02 福嶋 : 私が信州大学で最も倫理教育の必要性に迫られたのは、2000年に新たに独立専攻(※1)として大学院医学研究科臓器移植細胞工学医科学系専攻を設置することが認められ、文部科学省から「遺伝子のような先端的な研究を行う場合は倫理教育を必修にするように」と強く言われた時でした。当時、私は遺伝医学、遺伝子解析研究において、全国初となる遺伝子診療部を信州大学に作り、国のヒトゲノムの遺伝子解析指針のガイドライン作成委員に指名されて、そのプロジェクトに携わっていました。そういった関係から、信州大学においては、私が倫理教育についての企画、立案、実施を担当することになったのです。とはいえ、倫理教育に関する標準的な教材はないし、どのように教えたらいいのか全くわからない状態でした。ガイドライン自体も無味乾燥なものがつらつらと綴られていて、守るべき結論は決まっていますが、その文言を覚えたら力がつく訳でもないし、不祥事が起きれば一罰百戒で処分を下すという状況。結局はさまざまな本を読んで、見よう見真似で講義を行っていました。しかしながら、今から4年ほど前に市川先生と出会う機会があり、米国で使われているCITIという非常に素晴らしいコンテンツを知ったのです。それはまず文章があって、その設問に答えることで、ある一定の知識レベルに達することができるというものでした。つまり、覚えるべき文言がある訳ではなく「こういう風に考えると良い」という考え方を教える方法が懇切丁寧に書かれた教育ツールです。取り組むことで、全ての研究者の実験において必要なリテラシーが身に付き、「知らなかった」だけでは済まされない基本的な倫理観や知識を徹底できます。「これはぜひ日本バージョンを作り、倫理教育に取り入れるべきだ」と考え、実際に2年前からは信州大学大学院教育での使用を始めました。それ以来、私の肩の荷が下りたと言いますか、これが標準なのだと、心持ちが楽になったと感じています。また、このCITIを全国に広めるためにいろいろなチャレンジをして来ましたが、これまでなかなか申請できる事業がなく、何回か苦汁を舐めて来ました。しかし今回、6校の大学連携が取れ、めでたく文部科学省の「大学間連携共同教育推進事業」として採択となったのです。

対談の様子03

市川 : 遺伝子と言うのは、自分だけのものではなく、親兄弟全てが持っているもので、遺伝学は非常に複雑な倫理問題を合わせ持っています。そのため、福嶋先生は特に倫理教育の必要性やCITIの重要性を感じられたのでしょうね。
 私も「JUSMEC」を作るにあたり、東京大学の教授に知人がおりましたから、どういった倫理教育をしているのかと現場を見に行ったことがあるのです。すると、1年に1時間だけの講堂での講習会でした。これは決められた時間に一同を集めるのは大変だなと思いました。また、講師も一定ではなく、毎年変わるかも知れません。そういう意味でも、標準的な倫理教材を作らなければいけないという思いが強くなっていきましたね。

しかし、倫理教育というのは、なかなか理解されていないのが実状です。研究者は研究に入る前に研究倫理の審査が必要となりますが、その申請先である倫理委員会においても、その評価基準は統一されていません。しかも、日本で最も問題なのは、倫理委員会がお年寄りで占められることが示すように、研究者の倫理は良識の範囲で済むと思っているところです。
でも、現代の研究はさまざまな方法論で進んでいて、良識の範囲だけでは済まされない多くの問題が出て来ます。例えば、いま話題になっているIPS細胞(人工多能性幹細胞)のM先生の例(※2)をひとつ取ってみても、「嘘をついた」という問題だけが指摘されていますが、実際は共著として名前が連ねた人の責任も考えなければいけません。国際基準からすると、共著者は自分が責任を取れないものに名前を連ねていることになり、大問題なのです。
共著者が都合の良い面だけを取って、何か問題があれば言い訳をするのは許されることではありません。それに、倫理委員会を通してないというM先生の理屈は、嘘をついていること以上に問題です。その倫理観を全ての人にわかりやすく教えることが、いまは必要なのです。

ルールというのは、最終的に考え方を学んだ結果のプロダクトとして生まれて来るものであり、単なる試験直前の暗記では、学生時代に行ったテスト勉強と同じで自分のものとして身につきにくいのです。僕としては、日本人は忙しいから「あらかじめ、最終的に禁止されているルールを教えておいてほしい」と思う気持ちはわかるのですが、CITIの教材を見ていただければ、ルールを丸暗記する苦労もないとわかってもらえると思います。つまり僕らの意図としては、CITIを使うことはルールを覚えるよりもよほど楽だと知ってもらいたいのです。アメリカは教育方法の技術が発達しているので、僕らはそのフレームを使って日本にないものをうまく提供して、倫理教育に力を入れていきたいですね。

※1 /独立専攻とは、従来の学部・学科・専攻組織を横断した、大学・大学院の単体の専攻。

※2 /2012年10月、日本の医科学研究者で元東京大学医学部附属病院特任研究員のM氏が「ハーバード大学客員講師」の肩書きで「iPS細胞を使った世界初の臨床応用として心筋移植手術を実施した」と大々的に報じられた。その報道直後より多方面から数々の疑義が提起され、掲載各紙は一連の記事の誤報を認めて謝罪。M氏も記者会見で従来の主張は大半が虚偽であったことを認めた。しかし、1人の患者に対する臨床応用は主張。手術を行った病院等については共同研究者からの口止めを示唆し、またその手術に関しては倫理委員会に申請していないと解答し、具体的な証拠は一切示さなかった。

アメリカではどのような経緯で、倫理教育やCITI Programが発展したのでしょうか。

対談の様子04 市川 : アメリカで倫理教育が進んだ背景には、さまざまな医療事件があったからのように思います。それと「バイオの時代」と呼ばれる現代、アメリカは積極的にバイオ研究を産業として取り入れてきたため、結果的に倫理教育に力を入れる必要があったのではないでしょうか。そういった経緯があって、アメリカのCITIは2000年4月に完成し、6カ月後には省庁通達として教育での義務化が徹底されました。日本と違い、向こうの動きは早いのです。それに、民間の動きがとても強いので、多様な分野での利用が広がっていきました。

そして、アメリカに留学してCITIを使った日本人は「この教材は日本にもあるべき」と考える人が多く、実際に「自分で始めたい」と思う人も少なくありません。そこで米国CITIの事務局に掛け合ったら「すでに日本人の市川が始めている」と言われ、僕に連絡を取って来た人もいます。でも、日本においては、福嶋先生のように、ある程度大学内で指導的な立場にある人なら利用するチャンスが生まれて来るのですが、たいていの場合、倫理を担当する教員は学部でひとりであり、それも講師や准教授といった、なかなか政治的な力を持っていない人が多いのが難点です。彼らが倫理の必要性を説いても、日本特有の講座間の高い壁もあって、ほかの教授からはなかなか理解されません。それを知るまで、僕は倫理担当教官に倫理教育の必要性を説いていたのですが、そのうちに彼らには倫理教育の必要性を訴えるチャンスが与えられていないという悲しい現状がわかって来たのです。

それに、僕はあるアメリカのCITIの会合で、政府の教材作りを手伝っている米国政府の女性担当者の写真を撮り、彼女の言葉を日本語訳にして「これを日本で紹介しても良いか」と尋ねたことがあります。すると、彼女は「いままで3回、自分のもとに日本人が来てCITIについていろいろと質問をし、メモを取っていったが、その後何のアクションもない」とおっしゃるのですよ。恐らくその訪問者は研究者ではなく、厚生労働省の職員ではないかと思われますが、そうは理解していない彼女は「日本の倫理学者は自分の研究はするけれど、教育は行わないのか。科研費(※3)を取るためだけに研究をやっているのか」と言っていました。また、別のアメリカ人からは「日本の倫理学者の論文はさまざまな研究者の論文を集めたレビューが多く、日本の倫理問題について問いかけるような研究はしていない」と言われたこともあります。これは、日本の法学領域も同じ状況だそうですが、つまり、日本は政府主導の教育だから、学者が世の中に訴えて何か問題に対して提案をするという機会が少ないのです。それが倫理教育にもつながっているのかも知れません。日本ではさまざまな集会で倫理の議論をする機会はあるのですが、その内容が研究者の教育材料になってはいません。学者は学者での議論に終始しているということでしょう。

アメリカでは、法律を作る際にはパブリックオピニオンが明確に取り入れられます。その影響で、さまざまな場面においてもパブリックオピニオンが重視されますが、日本の政府主導という環境の中でなかなか世論は取り込まれづらい状況なのでしょうね。


福嶋 : 日本ではどうしても不祥事を防ぐ場合、最終的な段階で「これをやってはダメ」というルールが重要とされるので、研究の申請前には文部科学省から厚い文書を渡されて「これを読んでおきなさい」と言われたり、倫理審査にしても「これはやって良いですか。早く答えを教えてください。ダメなら直しますから」という状況になりがちですよね。そうではなくて、やはり根源的なところでなぜそういうルールになっているのかという考え方を学ばないといけません。でも研究者にとっては、なぜルールまで勉強しなきゃいけないのかと思うでしょうし、この思いが、倫理学習に至る上でのすごく高いハードルになっているのですよね。

※3/科研費=‪科学研究費補助金‬:国内の大学などの研究機関に所属する研究者が個人またはグループで行なう研究に対する補助金で文部科学省の制度。競争的資金の形態により、文部科学省およびその外郭団体である独立行政法人日本学術振興会を通して補助金が交付される。

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