信州大学が2008年度に行った上高地での300m深ボーリングにより、巨大せき止め湖の存在が明かとなりました。せき止めが生じたのは12,000年前、全地球的な急激温暖化が進行する時期でした。焼岳火山群が大噴火を起こし、岐阜県の高原川(神通川水系)に流下していた古梓川をせき止め、巨大な堰止め湖-古上高地湖が誕生したのです。この湖が5000年以上かけてゆっくりと埋め立てられたことによって、現在の平坦な上高地の原型が作られたのです。
 堰止め湖の堆積層に含まれる花粉の分析により、5000年の間に森林のない荒涼とした草原から針葉樹林帯の形成を経て、落葉広葉樹林帯へと変化する山岳地帯の温暖化が明らかとなったのです。
 およそ5000年前、梓川筋に沿って延びている境峠断層が地震を引き起こし、古上高地湖を決壊させます。この決壊を機に湖にたまっていた大量の砂礫が大洪水流とともに梓川を流下し、梓川の北側の松本市丸田から安曇野市豊科に広がる最低位段丘-丸田面を形成したのです。
 学術ボーリングとそれに続く研究によって、北アルプスの河川系・地形の大変化、最終氷期以降の山岳環境の変化、地震をきっかけとする松本盆地への巨大洪水の襲来が明らかとなってきたのです。

厳冬期に行われた学術ボーリング

上高地は山岳地帯の深いV字谷だったが、12000年前突然巨大な湖が誕生した

 学術ボーリングの最深部290-300m深には、古梓川の河床礫や砂層が見つかりました。河床礫は丸みを帯び径50cmに達するものがあることから、岐阜県側に流下するV字谷の急流であったことが分かります。
 岐阜県側に流下していた古梓川にせき止めが生じたのは12,000年前の縄文時代草創期でした。当時は最終氷期が終了して、全地球的に温暖化が進行する時期です。12,000年前、焼岳火山群の一員である白谷山火山は大噴火を起こし、火砕流に続いて山体崩壊を引き起こしました。この噴火が、当時岐阜県の平湯付近を通過して高原川(神通川水系)に流下していた古梓川をせき止めてしまったのです。せき止めにより深さ400m、長さ12km×幅2kmの巨大な堰止め湖が誕生しました。

復元された古上高地湖

古上高地湖は12000年前〜7000年前、5000年間以上にわたって存在した

学術ボーリングの290m深から114m深までは、湖の湖底にたまったシルトや粘土層、砂礫層から構成されていました。せき止め湖にはときおり梓川の洪水流が運んだ砂礫や焼岳の泥流が入ってきましたが、その他の時期には静穏な環境を示すシルトと粘土層が季節変化を示す縞模様(年縞)をなして堆積していたのです。この湖が5000年以上もの時間をかけてゆっくりと埋め立てられたことによって、現在の平坦な上高地の原型が作られたのです。

深度160m付近の年縞を示す湖成シルト-粘土層

堰止め湖に堆積した”年縞“が語る、急速温暖化

堰止め湖に堆積した年縞のシルト・粘土層に含まれる花粉の分析により、森林のない荒涼とした草原から始まり針葉樹林帯の形成、落葉広葉樹林帯へと変化する植生の変化が明らかとなったのです。せき止め直後は胞子や非樹木花粉が卓越しており高山草原が発達したことを示しています。また12000年前にはハンノキなどの亜高山低木林が,11000年頃にはトウヒやモミなからなる亜高山針葉樹林帯が,10000年〜7000年前にはブナやコナラなどの落葉広葉樹林が発達したことを示しています。現在の上高地は針葉樹が極相林ですので、7000年前頃は現在よりも温暖な気候であり海岸平野での縄文海進の温暖期に対応することが示されたのです。

年縞堆積物に含まれていた花粉化石

巨大せき止め湖の決壊と松本盆地をおそった巨大洪水流

 およそ5000年前、梓川筋に沿って延びている境峠断層が地震を引き起こし、古上高地湖を決壊させます。この決壊を機に湖にたまっていた大量の土砂が洪水流とともに梓川を流下し、松本盆地に到達したのです。盆地に流入した巨大洪水流は現在の松本市梓から安曇野市豊科一帯に拡がり、運んだ大量の砂礫を厚さ10m以上にわたって堆積させました。この時の堆積物が、現在の梓川の北側に広がる最低位段丘-丸田面を形成したのです。それまで古上高地湖にトラップされていた上高地上流の砂礫は、この決壊以降梓川によって松本盆地に供給されるようになったのです。丸田面の面上にはこの大洪水以降に移動してきた縄文時代中期以降の遺跡が見つかっていることからも、大洪水イベントはおおよそ5000年前の出来事だったことを示しています。

丸田面.梓川の最低位河岸段丘(約5000年前に形成)