信州ブックレットシリーズ6電子書籍版
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論を教えていますけれども、企業にとってのCSRというのは倫理なのかどうかという言葉で置き換えてみても良いかも知れません。私自身は、CSR論を「正義とは何か、倫理とは何か」というような、そういう観点では捉えていません。私自身のCSR論では、市場経済のシステムと企業の間の関係をどう考えたら良いかというふうに議論を展開しています。 基本的には、企業というものは、本来、経済的な価値を実現するだけではなくて、社会的な価値とか、社会的な責任を負う存在なのではないかというふうに私は考えています。経済学の中では、保守派の経済学者で、ノーベル経済学賞受賞者でもあるミルトン・フリードマンのように、CSRというのは、本来、企業が行うべきものではないというような考え方もあります。 フリードマンの議論は、ある意味、非常にエレガントなものであると思います。株式会社の場合には、企業の経営者というのは、企業の所有者である株主に対して責任を負っています。どんな責任を負っているかと言えば、それは、通常の法律や倫理を守る範囲において、利益を最大にすることであると考えられます。 もし、経営者が自分の勝手と言いますか、自分の好き好き、自分の趣味で、恣意的に、社会貢献をし、地球環境のために何か会社の財産を使う、あるいはスタッフをそちらに振り向けるとなれば、これは背任行為であるということなるんですね。フリードマンの論理では、株主から、CSRという任務を委ねられていなければ、企業はCSRを行ってはいけないということになります。もっとも、一定の範囲のCSRは現代の社会においては、比較的広く、常識として受け入れられていると思いますが。 そうなると、皆さんの中には、内心、ヒヤッとされている方もいる80

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