信州ブックレットシリーズ5電子書籍版
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を変化させます。 イソップ寓話の「すっぱい葡萄」をご存じですか。キツネがいて,高い木においしそうなブドウが実っている。食べようと思って飛び上がるのですが,高さが足りずに,ブドウが食べられない。結局,諦めてしまい,そのときに「どうせ酸っぱいブドウなんだから,いいや」と言います。 これは「負け惜しみ」のたとえ話と理解されていますが,認知的不協和の理論を使うと,より深い説明ができます。つまり,ブドウを食べたいという認識が一方である。もう一方で,採ろうとしたけれど採れなかったという行動の現実がある。そうすると矛盾している。食べたい気持ちで,実際に食べることができれば,認識としては一貫します。しかし,実際には食べられなかった。ブドウは採れなかったので,欲求と行動の間にずれがある。この結果,ストレスが生まれて,何か不愉快な気分になるわけです。 この不快な気分を解消したい。でも,採れなかった事実は変えられないので,そもそもこんなブドウなんか欲しくなかったと認識を変えるのです。そうすると,欲しくなかったから,採らなかったと欲求の認識と行動の認識が一致するので,これでストレスはなくなる。合理化して納得できた。こういうことが,ほぼ無意識のうちに行われるのです。そういう心の動きがあるので,人間は「合理的な動物」ではなくて,「合理化する動物」であると言われます。 このような特性があると,たとえば逃げなければいけないとき,津波災害のようなとき,深刻な危機が目の前に迫っているにもかかわらず,それを受け入れないで,受け入れたくないから,そうではない,安全だと思うような兆候を無意識的に発見しようとするわけです。まだこういう安全な兆候があるから大丈夫だと。実際に行動を起こさないのと,安全であることを示すような材料との整合性を36

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