信州ブックレットシリーズ5電子書籍版
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1万円だというのは,客観的にはそうですが,主観的にはそうではありません。つまり,個人の支払能力によって,1万円の価値は違ってきます。所得の格差が1,000倍,100倍とあるような世界の中で,大富豪から見たときの1万円の価値と,低所得で日々の生活が大変な人たちの1万円は,決して同じ価値ではありません。ですから,ある汚染対策のためにいくら払うのかといったときに,貧しい人にとっての1,000円が,富豪にとっての10万円と主観的には同じ価値かもしれないのです。 所得格差を無視して,10万円と1,000円を支払意思額と評価して,1,000円の人たちは,この政策をあまり評価しない,だから,する価値がないと。支払意思額が低いと統計的生命価値が小さくなり,結果的に汚染対策によって防げる死亡者の価値=汚染対策のベネフィットが低くなります。そうすると,本来,深刻な汚染の被害に遭っている貧しい人たちに救済の手がさしのべられないことになる。所得が低いが故に,支払意思額も,本人たちにとっては精いっぱいの額を提示しているのだけれども,それは客観的に見ると少額であるため,対策による便益を過小評価してしまう恐れがあります。 この場合も,支払意思額が,聞いている人の間で,ほぼ同じ価値として認識されていることが前提としてあるわけです。これが,著しい所得格差があるような社会になってくると,そもそも1,000円,1万円の持っている価値が違うので,支払意思額を額面通りに受け取ってしまうと,大きな落とし穴にはまることになる。本来,必要である人たちに必要な政策が行かなくなってしまう可能性がある,という限界があります。 ここでも量と質の両方の議論を忘れてはいけない。もし質に違いがないならば,数量による評価は,一つの考え方として筋が通っているので,効果的な解決策につながりやすくなります。27

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