2017環境報告書
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42■ 城下町松代との出会い長野市松代町は、城下町の面影が色濃く残る町。1983年から一部の地域が伝統環境保存区域として指定され、保存事業が進められている。佐々木教授が初めて松代を訪れたのは1999年のこと。案内された武家屋敷(長谷川邸)には、よく手入れされた美しい庭があった。池には、隣家の池から「泉水路」と呼ばれる水路を通って水が流れ込み、そこからまた水路を通って隣家の池に水が流れていく。伝承では江戸時代からほぼ姿を変えずに維持されてきた庭と聞いて驚いた。さらにそんな武家屋敷が通り沿いに何軒も連なっていたことに感動を覚えたという。教授はこの時、松代の町は「古い緑と新しい緑」が混じり合っていることを実感する。社寺林や武家屋敷に見られる「古い緑」と、公園など都市計画に基づいて形作られた「新しい緑」。二つの緑の構造を考察して、改めて城下町松代の緑豊かな環境に気付かされた。古い緑がある武家屋敷の庭はどのように残されてきたのか。教授は松代へ向かった。■貴重な池庭と水路武家屋敷の庭には池があり、池は水路と繋がっている。この水路網は、江戸時代には他の城下町でも見られたが、現存しているのは全国で三か所と言われ、町全体の規模で残されていたのは松代だけだった。豊富とは言えない水を効率よく使うための水路は、茶碗洗いや洗濯などにも使われている。人々の暮らしと共にあった池庭と水路は、城下町松代の文化の象徴でもあった。この水路網と庭園の重要性に注目した、松代の最初の調査は1982年東京大学工学部大谷研究室によるもの。伝統的建造物について総合的に調査し、水路について、道路脇を流れる「カワ」、屋敷の裏に流れる「セギ」、隣家の庭池から庭池へと屋敷地を流れる「泉水路」と区分している。1985年には信州大学工学部松本研究室が水路と池庭の詳細を調査している。■ 失われつつある池庭佐々木研究室では、1999年に調査を開始。まちづくりを推進する住民グループ(「NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会」)とも連携をしながら、2006年、2012~2013年と松代町全域に範囲を広めて調査を重ねてきた。継続的な調査から見えてきたのは、泉水路と庭池の減少。庭池は、1985年~2013年まで調査した地域では45%も減少していた。第一の原因は、宅地化の進行。広い武家屋敷の敷地は宅地として分譲されたり、更地にして区画割りされたりしている。駐車場になるケースもある。第二に取水元の河川の流量現象による水量不足。河川の底上げ工事の影響と思われる、取水元の湧水枯れもおきている。第三に水質。現在は改善されてきたが、下水の流れ込みや農薬の混入などもあったという。所有者による庭園の維持管理の負担も大きな問題で、高齢化により水路の泥上げ作業などがままならなくなっている。■ 住民との良好な関係が保存事業の基盤に2017年夏には、2006年調査以来のアンケート調査の実施が予定されている。松代の町会と研究室と連携を取りながら進められ、学生たちがアンケートに記載されない事情を聞き取りながら回収する予定だ。次代へ残すための糸口が見えることが期待されている。文化の保存・継承を進める主役は住民だ。「こちらは地元の方々のお手伝い」という教授。研究を手伝い、研究を活かそうとする住民との良好な関係は、保存事業の基盤になっている。城下町松代の緑豊かな環境を後世に残す学術研究院(農学系)教授佐々木 邦博[農学部農学生命科学科 環境農学(含ランドスケープ科学)]022-2環境研究環境への取り組み佐々木 邦博1979 年京都大学文学部文学科卒業1985 年京都大学大学院農学研究科林学専攻1985年信州大学農学部助手1991年信州大学学部講師1993年信州大学農学部助教授1998年信州大学農学教授泉水路の流れは隣家に注ぎ込む道路脇を流れるカワ武家屋敷地の庭の池

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