信大NOW99号
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濱田州博(はまだ くにひろ)1959年兵庫県生まれ。1982年東京工業大学工学部卒業。1987年同大学院博士課程修了。1987年通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。1988年信州大学繊維学部助手。1996年同助教授。2002年より同教授。2010年より繊維学部長。2012年より副学長。2015年10月より同職。出口友洋(でぐち ともひろ)さん1978年北海道生まれ。信州大学教育学部生涯スポーツ課程野外活動専攻卒業後、コンサルティング会社から、アパレルメーカーの香港駐在員を経て独立。2009年にWakka International Co., Ltd.を設立し、「香港精米所 三代目 俵屋玄兵衞」のブランド名で、現地精米による日本米の販売事業を開始。以後、シンガポール、台湾、アメリカ(ハワイ)に拠点を広げ、新鮮でおいしい日本米を通して日本食文化を世界に伝えている。信州大学長濱田州博伝 統  対 談Vol.3三代目俵屋玄兵衞出口友洋さん(教育学部卒業生)び立って行かれたんですが、どうして信州大学を選んだんですか。出口 当時、国立大学で唯一フィールド教育を実施していたのが信州大学だったんです。野外で学んで、野外で遊んで、それで単位が取れるのは最高だと…。学長 自然のフィールドを活用し、野外活動を通して青少年を育成していくという教育プログラムですね。キャンプやカヌーなどがカリキュラムに入っています。自然に囲まれた信州大学ならではの特色ですね。出口さんは、入学時から志向がはっきりされていたわけですね。出口 夏はスキューバ、冬は子どもとキャンプをして単位がもらえるなんてすごいなと。友達からも「そこいいな」と、羨ましがられました(笑)。学長 実は教育学部では改組があって、今年度から全員が卒業要件として教員免許を取ることになりました。ただし、特色あるフィールド教育は、もちろん残しています。出口 私はゼロ免課程という、教育学部の中でも免許取得を要件としていない課程だったんです。信州はフィールドにとても恵まれていて、野外教育は信州大学だからできることだと思うので、残ってホッとしています。さらに開かれた大学へ。さらに優しい大学へ。出口 ゼロ免課程には、社会人入学の方が結構いらっしゃったんです。私の同級生でも、まあ同級生と言っていいのか分かりませんが、30歳とか40歳の方がいらして、社会を経験された方なので、自分の今後の進路などを話した時に、こういう道もあるんじゃないかというアドバイスをいただけた。たまたま経営者の方もいらっしゃって、その方の話がとても示唆に富んでいてすごく刺激をいただきました。学長 日本の大学進学率が低い一つの理由は、ほとんどの入学者は18、9歳の高卒者なので、若者人口が減ったら連動して入学者も減っていくのです。一方海外は一度社会に出て、もう一度学び直すというのが当たり前なんです。日本の大学は、18歳人口だけを対象に考えているのですが、将来的には変わっていっていいと思います。信州大学でも、もっと社会人入学を増やしたい。世の中の「学び直したい」という期待に応えたいと考えています。井 その点で言うと、信州大学は公開講座などを、年間1,123件も行っていますね。学長 講座だけでなく授業も公開しているので、松本キャンパスでは、教養課程の授業を松本市民の方が受けています。受講料をいただいていますが、人気のある授業だと、10人、20人という単位で受講されています。出口 ちなみに人気のある授業はどういうものですか。学長 人気があるのは身近なテーマで、どちらかというと文系的、歴史的な内容ですね。私は、教養課程の理系の授業で「色」の話をしましたが、3人ぐらいは受けていましたよ。井 「色」の話とは、どんな内容なんですか。学長 例えば服につける色もあれば、机につける色もあれば、建物につける色もありますよね。それをどういう材料でつけているかとか、テレビの色はどうして出るかとか、身近なものとつなぎ合わせて、色というテーマにジェントルとは、気品高く、落ち着いて優しいこと。人に優しいキャンパスも、その一つの表れです。(学長)04

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