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04イプも作成しました、準備がいいでしょう(笑)。センターは3部門から構成されます。「基盤技術部門」のミッションは航空・宇宙産業に共通する基盤技術の開発、「宇宙システム部門」は宇宙システム開発を通した人材養成と地域産業の技術高度化、「航空機システム部門」は航空機装備品モジュール・システムの国産化とそれを担う人材養成などがミッションです。 先ほど話に出ました、来年4月から始める「航空機システム共同研究講座」は信州大学航空機システム共同研究講座コンソーシアムの支援によりまして、航空機システム関連の高度専門職業人の養成を目的として、基本的には学生を受け入れて航空機システムの教育研究を推進していくのが役割で、「航空機システム部門」が連携します。「SUWA小型ロケットプロジェクト」は岡谷市を代表として、諏訪圏6市町村が共同提案、地方創生「SUWAブランド創造事業」の一つの柱として昨年来始まっており、「宇宙システム部門」が連携します。航空機システムと小型ロケットは元は独立したプロジェクトでしたが、当センターが積極的にかかわってサポートしていく、また、信州大学の次代クラスター研究センターのひとつになったことをきっかけにして、航空宇宙システムの教育研究を将来的に工学部のみならず全学的にきちっと体系化していきたい。それらが循環し、地域の活性化・人材育成に結び付くと考えます。 基盤技術部門の部門長も兼任しておりますので、少しご説明を。基盤技術の開発は、航空機もロケットもとにかく技術の裾野が広い。大学の研究者が持つどちらかというと狭い分野の尖った技術を有機的に結び付けて、航空機あるいはロケットという方向に展開していけば、今までにないものが出来るのではないかと期待しています。研究だけを目的にしていると達成したら次なる目標へと行きがちですが、社会還元・貢献こそ大学のミッションと考えます。そして社会が必要とするのは若い人たち、つまり学生です。研究と教育は車の両輪で、その成果を将来彼ら自身が社会に還元していく。だからセンターは研究だけでなく人材育成も行っていく、と明確に謳っています。─来春、飯田でスタートする「航空機システム共同研究講座」の連携を含む航空機システム部門を束ねていただくのが柳原部門長ですね。現在JAXAと兼務と伺いましたのでそちらの話も。柳原 30年以上航空機システムに関わってきましたがここ数年、航空の波が来ていると感じます。皆さんご存知のように、50年ぶりの国産旅客機MRJの開発が進んでいます。一昨年に文部科学省が出した「次世代航空機展開ビジョン」は国が本気で航空機産業を基幹産業とするために支援するという出口志向のもの。それを受けてJAXAのほうも大きく舵を切って動いています。昨年には文部科学省、経済産業省、国土交通省等7つの航空関連省庁が集まって国の「航空産業ビジョン」を掲げ、今までの縦割から横に一体となって航空機産業育成を図ることとなりました。世界的に航空機需要は高まっており、今後20年間にジェット機が3万機必要、という情報もあります。本当にいいものを作れば売れる市場になってきていると思います。 航空機は大きく分けて機体、装備品(システム)、エンジンの3つで出来ている。機体とエンジンは日本は世界的シェアを持っているものの装備品のシェアは低い。MRJも国産機といいながら、国産化率は40%以下と言われています。これはキーワードとなる装備品の国産化率が低いためです。実は日本企業は装備品の細かい部品部分では頑張っているのですが、海外のシステム会社に納入せざるを得ず、その会社が操縦システムや燃料システムに組み上げて航空機メーカーに納入するという残念な構図になっています。半田 一番“おいしい”システム化のところを海外の企業が押さえているんです。ですから国は直接航空機メーカーに納入できるシステム化技術を含めた航空機産業の育成を急務と考えています。飯田地域を航空機産業の特区としたのも、実は装備品システムの拠点を作りましょう、ということなんです。そこに我々も関わっていきます。柳原 そして、装備品システムにも多々ある中でまず「補助燃料タンクシステム」を開発しようと多摩川精機(株)さんと協議しています。従来の燃料タンクだと、ある程度、脚(飛行距離)の長さが決まってくるのでもう少し脚を伸ばしたいというニーズに、オプションで補助燃料タンクをつけることで対応出来る。うまくいけば来年度から実際に着手したいと思います。研究と教育は車の両輪、その成果を将来学生自身が社会に還元していく(佐藤)大石 みちるさん ケルビン・ライ ション・オンさん半田 志郎(はんだ しろう)半田 志郎(はんだ しろう)佐藤 敏郎(さとう としろう)1978年信州大学工学部卒業、1980年同大大学院工学研究科修士課程修了、1982年神戸大学工学部助手、工学博士、1988年長野工業高等専門学校講師、助教授を経て1994年信州大学工学部助教授、2005年教授、2015年信州大学副学長、学術研究院工学系長・工学部長(現職)1978年信州大学工学部卒業、1980年同大大学院工学研究科修士課程修了、1982年神戸大学工学部助手、工学博士、1988年長野工業高等専門学校講師、助教授を経て1994年信州大学工学部助教授、2005年教授、2015年信州大学副学長、学術研究院工学系長・工学部長(現職)1982年千葉大学工学部電気工学科卒業、1984年同大大学院工学研究科修士課程修了、1989年同大大学院自然科学研究科博士課程修了、1984年北越製紙(株)、1989年(株)東芝の企業経験を経て1996年信州大学工学部助教授、2005年教授、2009年工学部学部長補佐、2012年学長補佐(~2015年)、2013年工学部副学部長、現在に至るマレーシアからの留学生、2017年4月、大学院総合理工学研究科に進学予定キーワードは装備品(システム)の国産化。地元企業の基盤技術に信大の先鋭研究を注ぎ込む(柳原)工学部電気電子工学科4年生工学部電気電子工学科4年生SST001」ハイブリッドエンジンを搭載し、約370mまで上昇した。SST001」ハイブリッドエンジンを搭載し、約370mまで上昇した。京都府出身、2017年4月、大学院総合理工学研究科に進学予定

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