信州大学案内2015
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濱田 州博(はまだ くにひろ)1959年兵庫県生まれ。1982年東京工業大学工学部卒業。1987年同大学院博士課程修了。1987年通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。1988年信州大学繊維学部助手。1996年同助教授。2002年より同教授。2010年より繊維学部長。2012年より副学長。2015年10月より同職。宮崎 吾朗(みやざき ごろう)さん1967年東京生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。その後1998年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、2001年より2005年6月まで同美術館の館長を務める。2006年公開のスタジオジブリ作品「ゲド戦記」でアニメーション映画を初監督。「コクリコ坂から」(2011)で2作目の監督を務める。2014年秋には、NHK・BSプレミアムでTVアニメーションシリーズ初監督作品「山賊の娘ローニャ」(制作・著作:NHK、ドワンゴ)を発表した。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。信州大学長濱田州博スタジオジブリ宮崎吾朗伝 統  対 談さんVol.2(農学部卒業生)てくるなんて、おもしろいのではないでしょうか。圡井 かつて私も入学してすぐの授業で教授が、この大学は地方の大学で、旧七帝大でもないのに、すべての都道府県から学生が来ているということが、何よりの恵みだから、それを享受しなさいとおっしゃっていました。同じクラスの中に沖縄と北海道の人がいて、一緒に食卓を囲んで、まるで家族のように暮らしていたのは、とてもおもしろかったと印象に残っています。学長 大学という、ある意味閉鎖的な空間で、異文化交流ができてしまうんですよ。宮崎 そういう経験は、ある種の自活力というものを生み出します。当時の学生の会話を聞いていると、どこのスーパーが安いとか、サービスしてくれるとか…そういう話って、多分都会の学生はしないと思うんですよ。そんな、たわいもない会話が、人間の成長にとって予想以上に重要なんです。何よりも大切なことは、考える時間を持つこと。圡井 なるほど、人間の営みのすべてが学べる大学。企業からの評価が高いのも、こういう部分に起因しているかもしれませんね。一方で自分に向きあう時間も多いと思うんです。宮崎 一人でヒマなとき、ボーッとしているときに見える風景は、信州ならではです。私の場合は前に畑、森があって奥に南アルプスが聳えていました。このボーッとしているときに見ていた対象が、人工のものではなくて自然のものであることは、財産とも言えるものです。圡井 私たちも、よく夜、仲間と車に分乗して松本の美鈴湖や美ヶ原、とにかく自然の中に行って、何をしていたかと言うと、やはりボーッとして何か考えていましたね(笑)。宮崎 それがいいんですよ、何か考えている、というのが。学長 考えさせてくれるすばらしい環境がありますよね。都会に暮らしていると、何かに追われているような気がするんですよ。私は都会にいたときは腕時計をしていましたが、信大に赴任してからは、時計をはずしましたね。今は残念ながら、時間を気にしなければならない立場になっていますが、そういう生活が送れる場所でもあります。宮崎 実は私が大学に入るときに、一つだけ親父に言われたことがあって、大学というのは4年間丸々暇があると。暇な時間をちゃんと暇にしてろと言われたんです。大学とはある種の時間が存在する場所だと。そういう時間を過ごすには、信州はとてもいい場所だったと思います。やはり10代の終わりから20代の初めは一番多感な時期だし、いろんなものを吸収する時期だと思うんです。社会に出る前の準備として、時間と環境はあるけれどそれ以外は何もない状態というのは、思っている以上に貴重なものですよ。学長 我々もそうですが、若い人はメールに追われる生活などになりがちでしょう。いろんなものを求めてしまう時期でもあるので、その“何もないという価値”には、なかなか気づきにくいかもしれません。都会に暮らしていると、何かに追われている気がする。私は信大に赴任して、時計をはずしましたね(笑)(濱田)1

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