地域と歩む|信州大学地域戦略センター
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経てば改善の時期を迎える。松代も同様で、最初の計画から10年が過ぎ、池庭の大きさ、形、水路の状況、町全体の特徴も変化した。長野市のまちづくりも含め、松代の水路網を改めて捉え直す必要があった。松代に残る水路は3種類。カワ(道に流れる水路)、セギ(屋敷の裏に流れる水路)、そして「泉水路」だ。「泉水路」は各屋敷ごとの庭と庭を繋ぐ水路で、松代の水路の特徴となっている。敷地の上方にある隣家の庭池から水が流れて池に注がれ、流れ出た水は下の隣家の庭池に流れていく。現在、城下町で「泉水路」をみることが出来るのは、日本で3箇所。群馬県甘楽郡小幡、福岡県甘木市秋月、そして松代町。その中でも、面的な広がりと明確な区分を持って残るのは松代のみ。かつて、「泉水路」は日本各地にもみられたものだったと考えられているが、現存するものは長野市中心部から南へ約10km、千曲川の南側の丘に松代(海津)城址がある。それを築いたのは武田信玄。その後、江戸時代に真田信之が上田から松代に入封してから城下町の整備が加速した。真田藩10万石の城下町として整備された町並みは、戦火に巻き込まれることもなく、今なお当時の面影を残している。松代は、古くから水量が少ない地域。井戸水は飲料水などには向かない、鉄分を含むものもあった。松代に残る独自の「水路網」は、貴重な水をいかに確保し、いかに利用するかという、人々の暮らしそのものを写し出す。1982年に東京大学による町並みや水路、建物、庭園に関する調査が松代で行われ、その後、長野市で伝統的な環境の保全を目的とした条例が敷かれた。その保全事業が開始されてから10年を経た1998年、佐々木教授の新たな視点での調査が始まった。佐々木教授の専門は造園学。地域の屋敷林、農地、森林などの緑地空間の特徴を捉え、いかに残し、改善していくか?-地域の緑地計画を立てる上で重要なポイントは何かを探っている。まちづくりに欠かせない「計画」は、10年─研究と保全、共同で「松代城下町伝統環境調査」─城下町の面影を残す松代町の遺産-水路と池庭人々の暮らしに根ざす、特徴ある「泉水路」経てば改善の時期を迎える。松代も同様で、最初の計画から10年が過ぎ、池庭の授の新たな視点での調査が始まった。佐々木教授の専門は造園学。地域の城下町の面影を残す松代町の遺産-水路と池庭長野市松代町の武家屋敷の町並みの中には、独自の「水路網」と「池庭(池のある庭)」が数多く残る。人々の生活に欠かすことの出来なかった「水」を確保するために築かれ、育まれてきたものだ。その景観と構造からは、水量の少ない地域で、人々が貴重な水をいかに確保し、暮らしの中で活かしてきたかの一端を垣間見ることが出来る。この水路と池庭の保全を、長野市と協力して、15年前から研究するのが信州大学農学部森林科学科造園学研究室の佐々木邦博教授だ。伝統的な景観保全の取り組みと、それを活かしたまちづくりを紹介する。(文・柳澤 愛由)真田邸(新御殿)の池庭独自の水路が築いた松代の水利用の歴史と文化各屋敷の庭と庭を結ぶ泉水路佐々木教授の調査による松代の水路図五52長野市信大NOW No.75地域と歩む。

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