地域と歩む|信州大学地域戦略センター
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して行かなければならない―とした。研究報告の3人目は、信州大学人文学部の村山研一教授。「安曇野という地域名称と安曇野の地域イメージ」と題して、戦前に作られた、山岳・清流・荒野・村落の配置が大まかで雄大な安曇野のイメージをもとにして、1970年代に「安曇野」の名称が定着しイメージが結晶化してきた経緯を説明した。特に、松本、もしくは梓川・犀川を境にして東側の筑摩野との関係で、安曇野は、かつては、それらの付属物のように扱われてきたが、農業や農村の原風景の重要性が見直される中で、今日では、逆に、安曇野が筑摩野を包括しているかのような捉えられ方になっているとした。前半の研究報告=「安曇野ブランドの形成と発展」では3人の講師が報告した。関西学院大学文学部の非常勤講師金子直樹さんは、「旅行ガイドブックにみる安曇野」と題して、大正期から現在までのガイドブックの分析を通じて、安曇野のイメージの変遷を浮き彫りにした。大正期から高度経済成長期までは、北アルプスの登山口として中房温泉が注目されていたぐらいだが、1970年代後半あたりから安曇野として紹介され、道祖神、ワサビ田、旧家や寺社など農村風景に焦点があてられるようになったこと。近年では、美術館・博物館などとともに農産物直売所や農業体験が多く注目されるようになってきたこと―などが報告された。続いて安曇野ブランド推進室長の曽根原悦二さんがNHKのテレビ番組「おひさま」の舞台・ロケ地となったこともきっかけにしたブランド構築の取組みを話した。「おひさま」の効果は特に観光面で大きく、放映開始以降市内への入込み客は毎月前年比約20%増を示し(10月まで)、地域の知名度・認知度は確実にアップした。今後は、観光を、安曇野市を支える戦略産業と位置付け、自然・田園・北アルプス・屋敷林等をキーワードとする安曇野のイメージを強く押し出2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 「安曇野ブランドと安曇野景観を考える」より2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 「安曇野ブランドと安曇野景観を考える」より安曇野2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 「安曇野ブランドと安曇野景観を考える」より2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 「安曇野ブランドと安曇野景観を考える」より安曇野と2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 2012.3.10地域ブランド研究会研究大会2012in安曇野 と人文学部安曇野と人文学部との連携は長い歴史を持つ。この地域では以前より教員が個別的に種々の連携・協力をしてきたが、学部として包括的連携協定を結んだのは平成16年、合併以前の旧穂高町との間であった。文化、教育、学術の分野等で相互に協力し、地域の発展と人材の育成に寄与することが目的であった。その後、5町村の合併により安曇野市が誕生。改めて安曇野市との包括的連携協定を結んだのは平成17年だった。歴史・文学・地域文化・方言など、多彩な内容の市民講座を年5回ほど開催しているほか、地域文化と平和文化、コミュニティと景観形成、地域ブランドと市民意識などに関わる多くの受託研究も実施。毎年、その報告会が開催され、多くの市民の参加を得ている。本号では、こうした安曇野市と人文学部との連携の〝現在〟を示すものとして、3月10日に安曇野市豊科交流学習センター「きぼう」で開催された地域ブランド研究会 研究大会in安曇野にフォーカスした。関西学院大学文学部非常勤講師 金子 直樹氏安曇野ブランド推進室長曽根原 悦二氏研究報告旅行ガイドブックにみる安曇野「おひさま」の舞台・ロケ地としての取組み安曇野という地域名称と安曇野の地域イメージ(文・毛賀澤明宏)信州大学地域ブランド研究会とは地域ブランド研究会は、信大人文学部に事務局を置く全国的な研究組織。信大人文学部と安曇野市との共同研究を基礎にして、安曇野の景観保全と景観形成、ならびに豊富な地下水の保全と活用について、信州・安曇野から議論の渦を巻き起こそうと開催された。25四34安曇野市信大NOW No.74地域と歩む。

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