人文学系
モノカルチャー化する社会より
多様性に対して寛容な
社会を目指して
学術研究院人文科学系
金井直教授
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人文学系
学術研究院人文科学系
金井直教授
世の中には多様な価値観がある
ということを学んでほしいんです
総合人文社会科学研究科(人間文化学分野)(以下、人間文化学分野)に進む大学院生にはいくつかパターンがあって、まずは人文学部での勉強をさらに深めたいという人。学部では人文学の基礎的な部分、つまり物事を見る角度を身につけます。その角度でもっと深く掘り込んでいくのが大学院です。学部の4年間では就職活動などもあって勉強に向き合う時間が少なくなっている現状もあるので、人文学をしっかり学びたいという学生には最初から6年コース、いわゆるストレートマスターという道があると伝えています。学部4年間は卒論にしっかり取り組み、修士2年間で論文と就職活動です。今は文系の修士でも就職活動で不利ということはない、というか、有利な面もあるので、6年間しっかり勉強してそれから社会に出ていくわけです。
もうひとつは英語の教職志望の学生です。修士の学位を有することが専修免許状の基礎資格となるので、教員になってからのステップアップを考える上で、大学院で学ぶことには意味があります。当然、専門的な勉強を究めておくほうが、ジェネラルな教育にも深みが生まれますよね。それから博物館学芸員志望の学生。学芸員も修士を出ていたほうが好ましい職業ですし、また、そもそも募集が少ないのでどうしても巡り合わせが大事になってきます。その点でも4年より6年計画のほうが学芸員になる可能性が広がりますね。
そしてもうひとつが社会人院生です。在職中は学びたくても学べなかった方も多いと思います。そうした方たちが、定年後、離職後に、改めて専門分野を深く学び直すというケースです。社会の一線でやってきた人たちなので学ぶことにも真剣でレベルが高いので、大学から上がってきたばかりの院生にもいい刺激になっているようです。
ところで、学部生を見ていると、全体的には語学離れが進んでいるような気がします。英語には人気がありますが、実学のツールあるいはコミュニケーションの道具として興味を持っているようで、例えばその言語の歴史や理論など、学問として言語を学ぼうという学生は少ないですね。これは、世の中全体が実学一辺倒になっていることの表れだと思います。大学院ではこういう雰囲気を克服してもらいたいですね。
学部でも、そして大学院でも、語学をしっかりやることが大切です。英語だけでなくできれば複数の外国語を学ぶほうがよい。語学はものごとを多視点的に、観点を変えて見るトレーニングでもあるのです。世の中には多様な価値観があるということを学んでほしいです。
多数派の社会ではなく多数の社会に。
それが文化のエネルギーであり人間の本質です
というのも、社会にさまざまな価値観を示していくことが人文学の大きな役割のひとつだからです。特に現代は、社会の諸価値がグローバリズムという名のもとに一元化している気がします。もちろん実学志向ということ自体は肯定できる観点だと思いますが、その一つの価値観だけで本当に大丈夫かということは、常に問い続けていく必要があると思います。
社会が一元化、モノカルチャー化していると、なにか異なるものが現れて世の中の秩序やシステムがぐらっと揺らぐような事態になったときにうまく対応できません。選択肢がないのですから。そういう意味で、多様性や複数の価値を志向する人文学は常に社会の未来をサポートするセーフティネットになっているんです。
どちらに舵を切ったらいいのかという場面が訪れたときのために、さまざまな価値観を用意しておくこと。それは、社会を複数形にしていく作業、多数派が牛耳る社会ではなく多数の社会にしていくということです。多様性に対して寛容なそのような社会こそが、未来を担保しています。私たちの使命は、そういう思考形式と実践を学生たちに届けることです。これまで同じ尺度で切り分けられてきた学生たちを「開いていく」作業だともいえるでしょう。
社会が複数形であるということが、むしろ文化のエネルギーであり人間関係の本質です。ダイバーシティ、多様性というものを自分たちで見いだし、また、つくりだしていく研究実践を、とくに大学院生と共有したいですね。
信州大学の魅力は、さまざまな関心を持った学生が集っているところにあります。人文学部でも全体の傾向としていえば、社会的な要請が明確な学問分野が人気ですが、一定数のそれ以外の学生も入り込んできています。信州が好きとか山登りが好きといった人であったり、昔風に言うと「文学青年・文学少女」的な学生たちです。それが実は大切なところで、学部のムードを作ってくれているんです。彼らがまた、大学院を目指してくれる。
社会の多様性を担保する人というのは、平均的な価値観からはみ出している、いわば「変な人」ですよね。そうした人との出会いによって、就職に役立つ勉強にこだわっていた学生も「ほつれて」いくというのでしょうか、開かれていくことがあります。ついには私の専門である芸術をみっちりと勉強しようという学生も出てきたりする。ところで、意外かもしれませんが、人文で芸術を勉強してきた学生が、公務員をはじめ、「かたい」仕事に就くケースはわりと多いんです。社会もしなやかな多様性を求めているのでしょう。
芸術では差異が争いを引き起こしません。
無関心性、利害を超えるとはそういうことです
無関心性という言葉があります。カントの用語で「dis-interest」、つまり利益、利害を排除するという意味です。夏目漱石が「非人情」と言っているものですね。利益というものは、じっさいなかなか「win-win」なんてことはなくて、例えば私が利益をとったら、えてして誰かが損をしています。利害とはそういうものです。そこで、芸術です。例えば私が「この絵いいね」と言っても誰も損していないでしょう。利害関係は絡みません。私がとても主観的に語っていても、それが肯定される側面がある。あなたがその絵をいいと思っていなくても、まあ私が否定されるわけではない。異なっているのに成り立っている。これが無関心性、利害を超えるということです。芸術では差異が争いを引き起こしません。
「この絵いいね」と言っている私とそれを聞いているあなたには、上下関係はありません。横の関係ですね。横の関係で話すと相手に近づけます。相手の方に寄っていくと、今度は、あなたと私の違いがよく見えるようになってきます。距離を詰めれば詰めるほど、結局、相手とは違う自分というもの、生活環境も主義主張も全然違うあなたというものがわかってくる。そのように差異を認めたうえでそれを受け入れ、理解することが文化であり、共同体の本質です。芸術経験はこうした共同体のモデルとしてとらえることができるのではないでしょうか。
ところで、私の主観的な「この絵いいね」といった気持ちを、どうやって説明したら他の人と分かち合えるでしょうか。そうした問いかけが、人文学のスタート地点なのだと思います。「個と普遍」というテーマともつながります。ひとりひとりの経験や感覚という「個」の要素は、どう「普遍」化されるか、どう共有されていくのかを探るということです。自分ではこの絵をいいと思わなくても、それをいいと言う他者の主観性は尊重できる。利害を超えて分かち合える。そう思うとき、「個」と「普遍」の出会いがはじまる。「個」が「普遍」へと吹き抜けるんです。この意識が人文学には大切です。こうやって吹き抜けていかないと、世の中は、いや学問も、利害だけに絡め取られてしまう。
芸術が机上の学問で終わらないので
事実上のインターンシップが成立しています
2013年の学部改革では、それまで2つに分かれていた学科を人文学科として統合し、芸術でも語学でも歴史でも、ジャンルの垣根を越えて学べる緩やかな態勢が整いました。大学院でも、例えば修士論文の審査に複数領域の先生が関わるといったことも増えています。また、合同発表では、発表する大学院生はすべての領域の先生から指導を受けることができ、文字通り学際的な研究活動の場が生まれています。
人間文化学分野は、松本にある大学院だということをもっと大切にしていきたいと考えています。それは、旧制松本高校の伝統を尊重し、「学都」松本のイメージとしっかり繋がっていくということです。松本は人口24万の単なる地方都市ではなく、伝統や文化の点で特徴的で、多くの学者を生んできた歴史もある。自然環境もいいですよね。
それに、また芸術の話になりますが、現場がすぐそばにあるというのも大きなメリットです。学部生や院生と一緒に「クラフトフェアまつもと」や「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に参加したり、街なかのスペースに現代アートの作家を呼ぶなどの活動をずっとやっているのですが、市民や行政との距離感が近く、アーティストやパフォーマーとも打ち解けやすい。これも松本という土地のおかげだと思っています。つまり、芸術が机上の学問では終わらないんです。そういう現場に入ることによって、学生にとっては事実上のインターンシップが成立しているということです。かたや理屈ばかりの私のような教員がいて(笑)、いっぽう、街には現場の空気がちゃんとある。異なる両者が共にあるということが、この街では自然と経験できるんです。
学部時代はこういう文化芸術活動に参加することで多様性の何たるかを肌で感じ、大学院では、集中的に文章を読み、論文を書くための力をつける。経験する主体から、さらに自ら問いを立てる側に回っていくということですね。大学院生には、知への好奇心が多様性に対して寛容な社会の支えになっているのだという確信を持って、深く鋭く勉強してほしいですね。
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