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癌を原子炉で治療する。

現在の研究テーマ:中性子捕捉療法用ホウ素化合物の研究

中性子捕捉療法とは、予め腫瘍に\(^{10}\)Bを集積させ、原子炉で発生する中性子を照射し、核反応を起こさせ、その時に生じる核分裂エネルギーで、腫瘍を破壊する治療法であります。この治療法の問題点のひとつは、いかにして腫瘍部にのみ選択的に\(^{10}\)Bを集積させるかという点です。悪性黒色腫ではメラニン生合成が活発であり、そのメラニン生合成経路は現在明らかになっており、チロシンというアミノ酸を出発物質とし、それが酵素チロシナーゼによって酸化されドーパになり、ドーパは同酵素によって酸化されドーパキノンになります。そしてさらに幾段階かを経てメラニンができます。p-ボロノフェニルアラニン(パラボロノフェニルアラニン以下BPA)はチロシンとよく似た構造を持つので、このBPAを悪性黒色腫を持つ患者さんに投与すれば、BPAがメラニン生合成に取り込まれ、悪性黒色腫に選択的に\(^{10}\)Bを集積させることができるのではないかとの考えから筆者等はBPAを悪性黒色腫の中性子捕捉療法に使うことを提案し、実際BPAは正常組織より悪性黒色腫に3から5倍も選択的にホウ素を集積させることが筆者の開発した分析法で明らかになりました。しかし、BPAは水に対する溶解度が低く、塩酸塩の形で投与する必要がありました。ところが、このBPA塩酸塩は患者さんに非常な苦痛をあたえることが問題となりました。この問題に対して筆者等はBPAを糖と錯形成させることにより、体液のpHであるpH 7.4でも溶解度が向上させることができないかという考えからBPAと様々な糖との錯形成を調べ、その結果BPAはフルクトースと最も錯形成をしやすいことを見いだしました。現在BPAはフルクトース錯体として用いられ成果が上がっています。ところで、BPAはチロシナーゼの働きを受けてはおらず、その集積のメカニズムは詳しくは明らかになっていません。一つにはBPAはアミノ酸であるからから蛋白質合成の盛んな腫瘍部に選択的に集積するのではないかという考えがあります。この考えはBPAのL体がD-体よりホウ素の腫瘍部への集積が大きいことより支持されています。生体はL-体のアミノ酸しか利用しないからです。従ってその他の腫瘍部にもBPAはホウ素を集積させます。例としては脳腫瘍や乳がんに選択的にホウ素を集積させます。悪性黒色腫へのBPAの集積機構としては、BPAがメラニン前駆体と錯形成することが一因であることが筆者等の研究で明らかとなっています。

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p-BPAフルクトース錯体



高校生へのメッセージ

化学の道に進んだ理由
私はアズレンという有機化合物の美しい色に魅せられて、大学4年の時に有機合成研究室で一年間合成研究を行いました。その後大学院に進むにあたって、原子力という分野に興味をおぼえて原子炉工学という大学院に進みました。そこで中性子捕捉療法に出会いました。原子核分裂反応を癌の治療に使うというその原理に非常に感動を覚えました。あの原子力爆弾の原理を利用して癌をなおすということで、これほど有益な原子力の平和利用はないのではないかと感じたのです。この中性子捕捉療法は最初は米国で行われていましたが、中性子線にγ線が混入するという問題と腫瘍部に選択的に集まる\(^{10}\)B化合物が見つからず、中断を余儀なくされていました。その後、日本人の畠中教授がボラン化合物にSH基がついたBSHという化合物を使い、脳腫瘍に中性子捕捉療法を使い、成果をあげはじめました。一方、三嶋教授はこの中性子捕捉療法を悪性黒色腫に適用できないかと考えました。そして\(^{10}\)B化合物を私たち化学の研究室に依頼してきたのです。そこで既に1950年代に合成されていましたBPAがよいのではないかと我々は考え提案いたしました。ところで当時は生体中の微量ホウ素の分析を化学的に分析する手段として、電気炉で灰化してクルクミン法で定量するということが行われていました。その方法は灰化中にホウ素が飛散してしまうという欠点を持っていました。そこで私はアルカリ溶融で分解して、メチレンブルー法で定量する方法を新たに開発しμgオーダーのホウ素を検出することができるようになりました。その方法を使って、BPAを投与したハムスターの血液と悪性黒色腫中のホウ素濃度を決定し、腫瘍部に血液より多くのホウ素が集積していることがわかったときは、非常にうれしくて、その喜びがこの研究を続けていく大きなきっかけになっています。

大学進学に向けてのアドバイス
根気よく一つの目標に向かって努力することを身につけておくことが重要です。私は先のメチレンブルーの分析法において、分液ロートを使った抽出実験があるのですが、なかなか再現性が得られず、数ヶ月もかかってその原因が実験室内の空気にあることがわかりました。その数ヶ月間は毎日同じ繰り返しの連続でしたが、決してあきらめることなく、実験を続けました。結局水洗いをした分液ロートに水を満たしておいて実験直前にその水をすてて、定量実験をすることにより、検出限界も下がり、再現性もよくなりました。今振りかってみると、なぜそんなことにすぐ気がつかなかったのかと思いますが、その数ヶ月は毎日根気よく同じ実験を繰り返しました。そこで感じたことは絶対にあきらめないという意志が重要だということです。

私の授業内容
いろいろなテーマについて、なぜそうなるのかということが理解できるようになるべくやさしく講義をすることをこころがけています。

私の研究室
腫瘍集積性のある\(^{10}\)B化合物を見つけ出すための有機合成の研究室と、その化合物の生体内での挙動を調べる分析を主に行う研究室にわかれています。合成と分析の2つにわけたのは、先に述べたように分析関係の実験は、かなりクリーンな部屋を要するからです。研究方針は、うまく研究が進まない場合、皆で考え、あきらめずに検討していくということです。普段は朝から夜までの実験時間ですが、合成の実験の場合には徹夜を余儀なくされることもあります。また、ホウ素化合物と生体内物質との反応を調べるために\(^{11}\)B-核磁気共鳴スペクトルをとりますが、これもマシーンタイムの都合上徹夜になることがあります。

私の夢
あらゆる腫瘍について中性子捕捉療法が適用することができるように、それぞれの腫瘍に選択的に集まる\(^{10}\)B-化合物の開発と、その集積機構を明らかにすることです。腫瘍に集積する機構が明らかになれば、さらに有効な\(^{10}\)B化合物が見いだせる可能性があるからです。集積機構を明かにするには、それらの新たに合成した新規化合物と腫瘍関連物質との相互作用を\(^{11}\)B-NMRや\(^{10}\)B-NMRを用いて調べます。

現在、加速器を用いて中性子を発生させ、その中性子を用いて中性子捕捉療法を行うことが計画されています。そのためには腫瘍に今よりも高濃度に\(^{10}\)Bを集積させる必要があります。そのための研究も続けたいとおもっています。

吉野 和夫