
信州大学は戦後の学制改革により、長野県内の旧制大学(松本医科大学)・旧制高校(松本高校)・専門学校(長野工業専門学校、松本医学専門学校、上田繊維専門学校、長野県立農林専門学校)・師範学校(長野師範学校、長野青年師範学校)等を併合し、文理学部・教育学部・医学部・工学部・農学部及び繊維学部の6学部からなる総合大学として1949年(昭和24年)に発足した。そのうち旧制松本高等学校を前身とする文理学部の中に自然科学科地学専攻課程が置かれた.当初、担当教員は小林国夫助教授のみであったが、1950年(昭和25年)までに3名に増員された.地学専攻課程の学生数は毎年1-3名であり、文理学部地学専攻課程の卒業生は、第1回〈昭和28年、1953〉から第18回(昭和45年、1970)までで総勢37名であった。
その後、1966年(昭和41年)に文理学部が理学部と人文学部に分離改組され、理学部は、数学科、物理学科、化学科、地質学科の4学科によって構成された.そのうち地質学科は第四紀学、地質学、応用地質学の3つの学科目、教官定員9名、学生定員20名という規模で出発することとなった。
| 教授 | 助教授・講師(*) | 助手 | |
| 第四紀学 | 小林国夫 | 百瀬寛一 | 酒井潤一 |
| 地質学 | 山下 昇 | 山田哲雄(*) | 小坂共栄 |
| 応用地質学 | 杉山隆二 | 郷原保真 | 渡辺晃二(*) |
このように小規模の学科ではあったが、第四紀学と応用地質学を中軸にすえた特色を前面にたてて、八ケ岳山麓の農業用地下水調査、松代地震に伴う地すべり調査,奈川渡ダム建設に伴うズミの窪、小雪ナギなどの地すべり・崩壊調査,水没に伴う梓川沿いの上高地線付替道路調査,奈良井川ダム調査,高瀬川沿い道路調査(昭和43年の集中豪雨の前後),茶臼山地すべり調査,伊那南部災害の調査,上諏訪にある当時理学部付属の諏訪臨湖実験所の敷地内での温泉開発などに成果をあげてきた。また理学部地質学科の第1回卒業生(11名)を送り出した1969年、新入生のための土尻川巡検(化石採集)で、新第三系よりステゴドン象の頭骨化石を発見して学生を中心に論文化したり、1973年(昭和48年)3月には第5次野尻湖発掘が行なわれ信州大学地質学科の構成員も大勢参加するなど、地質学的成果も着々と生み出されてきた.まさに新生理学部の息吹に満ちた時代であったといえよう.1973年には地球化学学科目が新設されて教官定員10名、学生定員25名となり、1975年(昭和50年)、学科目名を、第四紀学、構造地質学(旧地質学)、層位学(旧応用地質学)、地球化学と改訂した.さらに1976年(昭和51年)、学科目制から講座制に移行して、同名称の4講座、教員数11名へと拡充された。1984年(昭和59年)9月、長野県西部地震が発生した際には、地質学科のスタッフが中心となり、信州大学自然災害研究会が組織されて災害調査と原因究明に取り組んで大きな成果を上げた。続いて、1985年(昭和60年)7月、長野市地附山地すべりが発生した。この災害にも信州大学自然災害研究会が調査に取り組んだ。このようにこの期間は長野県内の大きな自然災害に対応する活動が旺盛に取り組まれた.
その後、1992年(平成4年)、理学部に共通講座として物質循環講座が地質学科内に設置され、防災科学研究所から転任した塚原弘昭教授など3名の教員を加えて、臨時増定員(教員1名、学生5名)も加えて、一時期教員数14名、学生定員45名にまで拡充された.
理学部になって以後の学科の拡充によって、構成員がカバーする学問範囲は当初の第四紀学、層位学、構造地質学、地球化学に、地球物理学、岩石鉱物学、堆積学、火山学などを加えて拡がった.その反面、当初あった学科の強烈な個性は薄まってきたともいえる.そうしたおり、1995年(平成7年)に信州大学全学の改組が行われた.それまであった教養部を廃止して共通教育を全学でおこなうこととし、旧教養部の教員を各学部に転属することによって理学部においてもその中に物質循環学科を設立するという拡充がなされた.地質学科の定員の一部(教員4名、学生10名)は新たにできる物質循環学科に移行し、その代わりに旧教養部から教員が1名移行してきて学科名も地質科学科と変更した.この改組に際して新たにできた地質科学科は以下のような理念と目的を定めた.
「地球環境の変遷,資源の開発や自然災害からの防御など,地球に関する科学への社会的要請に応えるために,その基礎である地質科学の教育・研究を充実させ,地質科学の現代的課題に対応した教育・研究システムをつくることを目的にしている.」
そして、この理念と目的を実現するために「地質科学を基礎におき,中部山岳地域の特性と利点を生かし,地球環境の変遷の解明,資源の開発や防災の基礎となる教育と研究を推進する.この目的のために,4年一貫の教育体系を構築し,地質科学の基礎的知識もって社会に貢献する人材を養成する.」という目標を掲げた.
なお、学科名の「地質科学」への変更は、それまでの学科名であった「地質学」の語によって学科内外に形成された固定的な教育・研究内容の理解を脱して、より柔軟に拡充していこうという学科の意志の表れであった.そうした柔軟性をもたせる上からも、学科内の組織は大講座制として、「地層科学講座」と「地球物質科学講座」という大くくりの2つの大講座を置くこととした.
平成7年以降、3年次編入制度の開始による教員定員1名増、臨時増員定員の返上などを経て、現在、地質科学科は教員定員11名、学生定員30名の規模となった.ただし、2004年(平成16年)現在、教員定員削減による理学部内の定員配置の事情によって、助手1名のポストが欠員のままに据え置かれている.上述した歴史は、学科教員の変遷に関する資料は左図(クリックで拡大)にまとめて示す.