信州大学HOME

  1. ホーム
  2. トピックス
  3. 医学部赤レンガ倉庫が国の有形登録文化財に

トピックス

医学部赤レンガ倉庫が国の有形登録文化財に

2012年09月28日 [報告]

医学部資料室(通称 赤レンガ倉庫)が国の登録有形文化財となり、平成24年9月21日に登録証伝達式が行われました。また赤レンガ倉庫前には登録有形文化財であることを示すプレートと説明板が設置されました。

この赤レンガ倉庫は旧松本歩兵第五十連隊の糧秣庫として、明治41年頃に建てられ、現在は医学部の資料室として使用されております。

登録証伝達式の様子はこちらをご覧ください。


akarenga.jpg




 


akarenga_02.jpg

現在の信州大学松本キャンパスには、もともと松本歩兵第五十連隊の施設があった。第五十連隊は日露戦争中の明治38年(1905)に編成され、明治40年(1907)に松本を衛戍地(えいじゅち)とすることが決まり、その翌年に現地に入った。糧秣庫の建築年代は定かでないが、第五十連隊が衛戍地に入った明治41年(1908)頃であろう。

建物は梁間9.09m(約5間)、桁行36.32m(約20間)で、煉瓦造平屋建、切妻桟瓦葺屋根である。外壁の煉瓦はイギリス積みになっている。小屋組は、洋小屋組、キングポストトラス構造で、陸梁が1間おきに架けられ、建物の北側には廊下が通っている。出入り口には2種類の大きさがあり、西面には大きな出入り口が1つ、北面には、西側から大きな出入り口、小さな出入り口、大きな出入り口の3つがある。外壁には、北・南・東面に2種類の大きさのアーチ形の窓が連続して取り付けられており、北面には出窓がある。

現在の第五十連隊糧秣庫に残る痕跡から、当初の姿や改修の過程を見ると次ぎのようになる。

・かつて、北面の外壁には大小4つの出入り口があった。

・当初の間取りは3ヵ所の煉瓦の内壁で4部屋に仕切られていた。

・それぞれの部屋の北西の外壁には、2つの窓と1つの出入り口が設けられていた。

・4部屋に仕切られていたとき、一番西側の部屋だけに床が張られていた。

・出窓は大きな窓を改修して取り付けられた。


第五十連隊糧秣庫は、用途の移り変わりによって内部の改修が行われてきたが、外部への改修は少なく、建設当初の姿をよく残している。この建物は戦争の記憶を現代に伝えるだけでなく、本学によって教育的にも利用され、時代を通してさまざまな人々の活動の場となってきた。

(説明板より)



 一覧に戻る 

  • お知らせ一覧
  • イベント公開講座一覧
  • トピックス一覧
    カテゴリ別
    月別でみる
    RSSを取得する
    RSSフィード
医学科 保健学科 入試情報を見る

国際交流・留学

医学科
保健学科

  • 信州大学医学教育センター
  • 信州大学卒臨床研修センター
  • 信大医学部附属病院
  • 医学部地域保健推進センター
  • 臨床研究審査委員会/医倫理委員会/遺伝子解析倫理委員会
  • 研究者総覧SOAR
  • 医学部附属施設・関連団体
  • 信州医学雑誌