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卒業生メッセージ

卒業生メッセージ

医療、医学教育、医学研究、行政で活躍する卒業生のメッセージを掲載します。

医学科 卒業生メッセージ

柳澤 大輔さん 信州大学医学部附属病院形成外科医員 平成17年度卒業

写真:柳澤 大輔さん 信州大学医学部付属病院形成外科医員 平成17年度卒業

信州大学を卒業後長野県内の市中病院で研修し、現在は母校に戻って張り切って働いています。
学生時代は医学部バドミントン部に所属していました。当時バドミントンはオグシオブームより前でしたので、特別注目されているわけではなく、週2回しか練習日がないのでほどほどでいいかなと思って入部しました。ところが、始めてみると非常に奥が深いスポーツで、仲間に恵まれたこともあって、6年間熱中して継続することができました。
信州大学は日本の真ん中にある大学ですので、北から南まで日本中から学生が集まってきており、多くの出会いがありました。地方の大学でありながら、多様な人と出会える大学は他にあまりないのではないでしょうか。
いろんな仲間に恵まれ、熱中するものを見つけられるこの信州大学で皆さんも学んでみてはいかがでしょうか。

青山 達郎さん 信州大学医学部脳神経外科医員 平成15年度卒業

写真:青山 達郎さん 信州大学医学部脳神経外科医員 平成15年度卒業

私は、信州大学医学部を卒業後、脳神経外科医6年目となります。長野県内の様々な病院に勤務した後、現在は信州大学付属病院脳神経外科病棟に勤務しています。
高校まで神奈川県で家族とともに過ごし、大学に入学したのは思えば12年も前になりますが、初めての土地でしかも初めての一人暮らしで、大学生活に対する期待も非常に大きかったのですが、やはり非常に不安でもありました。医学部を目指す受験生の方や、それを見守るご両親にとってどのような環境で大学生活を過ごすのかということは重要なことだと思います。
信州大学を受験した理由はいくつかありますが、受験前年に偶々松本を訪れ、駅を降りてみると雪に覆われた北アルプスの山々がとてもきれいで、非常に恵まれた環境だと感じたからです。大学生活は試験勉強、臨床実習など大変なこともありますが、明確な目的を持っていれば有意義なものになると思います。
県外の方も、信州大学と松本を一度見学してみてはいかがですか。

柳澤 新さん 信州大学医学部附属病院放射線科 医員 平成13年度卒業

写真:柳澤 新さん 信州大学医学部付属病院放射線 医員 平成13年度卒業

私は、信州大学医学部を卒業した後、信州大学医学部附属病院放射線科に入局しました。現在はCT、MRI等の画像診断、血管造影による検査、治療を専門に日々業務を行っています。
大学時代は、中学時代から続けていたバレーボール部に所属し、バレーと勉強に勤しむ日々を送っていました。6年間続けたバレー部で関わった多くの先輩、後輩達、また6年間共に過ごした多くの同級生達は、医師である今の私にとって大きな財産となっています。
私は長野県出身であり、人生の大半を松本で過ごしていますが、豊かな自然に恵まれたこの環境をとても気に入っています。四季折々の楽しみ方があり、勉強の合間には気晴らしにドライブやスキーに行きました。勉強以外にも学ぶことが多く、とても有意義な学生生活だったと思います。
医師を目指す学生にとって、ここ信州では学ぶことが多いと思います。是非、私達と共に学び、充実した学生生活を送りませんか。

福島 菜奈恵さん 人体構造学講座助教 平成9年卒

写真:福島 菜奈恵さん 人体構造学講座助教 平成9年卒

私は、信州大学医学部を卒業後、信州大学大学院医学系研究科の博士課程を修了しました。その後、そのまま大学院で所属していた人体構造学講座(旧解剖学第2講座)で研究を続けています。

大学の講義では、医学科の解剖学を担当しています。解剖学実習は医学科3年次に行いますが、おそらくすべての医学生にとって、一生涯忘れることのない経験として残るものだと思います。実際に私も、自分が学生時代に参加した解剖学実習のことを今でもよく覚えています。

大学時代には、バレーボール部に所属していました。それまで運動はあまりしたことがなく、バレーボール自体はそれほど上達しませんでしたが、多くの仲間に恵まれ、6年間楽しく続けることができました。

私は長野県出身者ではありませんが、信州は過ごしやすく気に入っています。特に、冬は空気が澄んで、北アルプスの山々がとても美しいです。皆さんも環境に恵まれたこの信州大学で一緒に学んでみませんか。

後藤 宏さん カンサス大学医学部麻酔学教室教授 昭和42年卒

写真:後藤 宏さん カンサス大学医学部麻酔学教室教授 昭和42年卒

昭和の最初の20年は満州事変、日中戦争、第二次世界大戦、真珠湾、広島、長崎と目まぐるしい年月だった。なんとその2倍の40年が医学部卒業(1967)後、のほほんと過ぎてしまった。新設の麻酔科講座清野初代教授の話や萱場助教授が留学しておられたことやらで2-3年のつもりで アメリカに行こうかとなんとなく思い数箇所の麻酔科に一応問い合わせをしてみた。最初に出願書類を送ってきたという理由だけでWisconsin大学で麻酔科レジデントを始める次第となった(1969-71)。以後人様頼りでTexas州はDallas,Connecticut州はNew Havenと回り最後はkansas大学病院麻酔科にスタッフとして就任した(1975)。当時麻酔科の実権を握っていた荒川先生が主任教授を追い出しまたユタ大学から麻酔作用理論で有名な上田先生を研究者として迎えた。こちらは各科独立採算のこともあり主任教授は論文、研究よりは優秀な経営者でなくてはならずさらに巧みなpoliticianであることが第一だ。数年後上田教授はユタに戻られ日本人だけとの理由とも思われるが日本からの研究者のお手伝いを引き継ぐこととなった(1979)。以後数年前まで信大をはじめ8大学から延べ50余名の先生方にいらして頂き毎日手術室で働くのみならず研究にも携わることが出来た。時々学会に招待して頂き2代目の小田切教授には2回もお世話になりました。ほんとうに人様のお陰でやってこれたあっというまの40年でありました。

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