エッセイの目次へ

 私のプロフィール

(信大病院NEWS、Vol.18より無断転載

2002年5月

 移植免疫感染症学講座(移植免疫部門、旧第2病理学教室)を担当させていただいております。すでに3ヶ月が過ぎましたが、こちらに参りましたのは2月の初めでしたので、まだまだ寒く、10年ほど前におりましたドイツ・ケルンの冬を思い出したりしました(もっともドイツの冬は一日中どんよりと暗く、松本の抜けるような青空とは全く違いましたが)。前任地の千葉では、家族を横浜に残して単身赴任でしたが、こちらへは4月から家内と息子が参りましたので、久しぶりに一家揃った生活を始めております。春になってからは、この辺は、まさに山気日夕に良し、の世界で、語らんと欲してすでに言を忘る、を実感するような環境の良さです。

 私は、四国・徳島の生まれで、大阪大学の理学部を卒業後、同修士課程を経て、しばらくの間、味の素株式会社の基礎研究所に勤務しておりました。その後、東大の谷口維紹教授の主催します大学院医学研究科免疫学教室に参加し(いわゆる脱サラですね)、以来、大学で基礎研究を続けております。最近では、大学も象牙の塔然としていられる時代ではなく、ヴィジブルな成果だ、特許だ、生産性だと、まるで企業にいた時を思わせる様な部分が多くなってきていますので、会社時代の経験が少しは生かせるのではないかな、と思ったりもします。でもまあ、そもそも企業に十分適合しなかった故の脱サラですから、大して役に立たない経験だというのは推して知るべしですが。

 修士課程以来、味の素の研究所時代を含め、かれこれ20年の間、ずっと免疫学の世界で仕事をさせて貰っています。私が免疫学の研究を始めたときには全くの謎であった免疫現象の多くは、今では分子の言葉で語ることが出来るようになりました。免疫学は、もう基礎研究としては終わったのではないか、これからは感染症や自己免疫疾患、アレルギーなどの治療を念頭に置いた研究に絞るべきだ、と言うような意見を述べる方もいます。もちろん、免疫系は生体の防御機構において非常に大きな位置を占めるシステムで、昨今の再興、新興感染症の事を考えても、医療への応用という点で重要な学問分野であることは明かです。そうなのですが、そもそも...おっと、「私のプロフィール」とは関係のない話になってきました。長くなりそうなので止めます。この辺に関する私の考え方は、当教室のホームページにも少し触れてありますので、そちらをご覧いただければ幸いです。

 さて、生産拠点の海外移転に伴う、日本の工業技術の空洞化がいわれて久しいものがあります。これまで日本の高い技術水準を下支えし、ある特定の技術において世界をリードしてきた東京や大阪の下町の工場が相次いで姿を消すことによって、様々な問題が起こってきている様に思います。例えば、ちょっと前の事になりますが、度重なる和製ロケットの打ち上げ失敗は、私には、こういう傾向と無関係のこととは思われません。私は、大学の研究室(特に基礎)は中小、いや零細企業のようなものだ、と思っています。一つ一つの研究室の生産性は高いものではありませんが、大きく日本の科学水準を考えた場合、それぞれの果たす役割は決して小さくは無かったのではないでしょうか。大学の選別の時代だと言われ、研究施設や原資の集中が画策されている現在、生命科学のビッグサイエンス化は、もうおそらく後戻りできない潮流なのでしょう。でも、地方の大学の研究室が失われる事によって将来に禍根をすのではないか、というのが私一人の杞憂であれば良いのですが。一昔前の「中心と周縁」の議論ではないですが、中心のみのシステムは決してその活力を維持することは出来ないのではないかと思います。私の小さな「野望」は、信州大学で、小規模だけれどもユニークな仕事の出来る場所を作り、維持することです。皆様のご支援をいただければ幸いに...ありゃ、やっぱり「私のプロフィール」から離れてしまったようです。

ページの先頭へ