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免疫学雑感

(ノヴァルティス財団年報1999.7より、一部改変)

東京大学大学院医学研究科免疫学講座 瀧 伸介

 私の所属しております研究室は、谷口維紹教授のもと遺伝子発現、細胞内信号伝達の観点から生体防御機構の研究を行っております。かつて、70年代に分子生物学者のうち少なからぬ人達が、脳神経や発生といった単一の細胞のみによっては表現し得ない生命現象の理解へと、その研究の方向性を変えて行きましたが(その頃の雰囲気は、たとえばそのような研究者の一人であったフランソワ・ジャコブの近著「Of Flies, Mice and Men」にも感じることが出来ます)、今日では分子生物学の大きな部分を多細胞生体の研究が占めていることは改めて述べる必要もないでしょう。本研究室の大きな柱の一つであり、私の関係している、サイトカインを中心とした免疫系の研究もまた、その方向の延長線上に位置づけられるものと思っています。

 免疫系は、神経や発生がそうであるように、一つの細胞の中での過程でのみ語れるシステムでないことはもちろんですが、これら多細胞システムを特徴づけている現象の一つとして、体の中での「細胞の移動」が挙げられるでしょう。多細胞生物では、その発生期にある細胞が特定の「場所」に移動し、分化をし、その細胞種に特徴的な機能を発揮するようになることが知られています。リンパ球をはじめとする免疫細胞もその例外ではないのですが、少し他の細胞と違う部分があるとすれば、免疫細胞の移動は発生期に限らず、生体の一生を通じて続くことでしょう。免疫細胞は日々骨髄で作られ、体の各部へと移動しますし、リンパ球は常に体の中を循環しています。

 もう一つ、免疫細胞に特徴的なこととして、免疫細胞はその最終分化、すなわち実際に生体を防御する機能を持つに至るプロセスにおいて、外界からの刺激を必要とすることが挙げられるかもしれません。他の細胞たとえば肝臓細胞や腎臓細胞は別に細菌やウイルスに感染しなくとも、機能を持つ細胞へと分化できますし、またそうでなければヒトは生まれてくることが出来ません。ところが、リンパ球は抗原(細菌やウイルスなど)という外的な要因なしには、その最終的な機能である抗体の産生やキラー細胞活性を持つことが出来ませんし、また樹状細胞の一種であります皮膚のランゲルハンス細胞は、細菌などの刺激によって活性化され、成熟しなければ、抗原提示能を持てず、リンパ節に移動して免疫応答を始めることもできないと言われています。この意味で、免疫細胞は、「欠陥細胞」だと言えるのかもしれません。ただ、逆に考えれば、このような不完全な細胞群が進化の過程を通じて選択され残されて来たのは、最終分化の一歩手前で踏みとどまって、体内を循環したり、皮膚などの外界に対するバリアのすぐ内側で警戒に当たることが生体防御に有用であったからだ、ということです。感染も何もないときにリンパ球が抗体を作り始めたり、ランゲルハンス細胞が抗原提示をしたりすることは無駄であるだけでなく、アレルギーや自己免疫疾患の危険を招来することにもなりかねません。ですから生体は免疫細胞を通常の状態では、その最終的な機能を発揮しないようにとどめておき、また機能を持ったときにも必要な仕事が終わったら速やかに再び定常状態に復帰させるという努力をしているようです。

 私どもが現在解析を続けている、転写因子欠損マウスに見られる皮膚炎症性疾患もまた、このような考え方で理解すべきなのではないかと思っています。この転写因子はIRF-2と呼ばれるもので、実はインターフェロン(IFN)系の遺伝子発現を研究する中で発見されたもので、IFNによって誘導される遺伝子の発現を制御しています。IFNはその命名の由来となった抗ウイルス作用以外にも、たとえばメモリーT細胞を増殖させるなど多彩な免疫調節作用を持っていることが示されております。私たちは、どうもIFNというのは必要なとき以外には、IRF-2によってそういった働きが押さえられているものなのではないか、それはウイルスなどの感染がないときに常にIFNが働き続け、免疫系の異常な活性化を招き、不必要な免疫応答が生体に不利益をもたらさないようにするためであろう、と考えています。実際、IRF-2を欠損するマウスで見られる炎症性皮膚疾患はその原因がCD8陽性T細胞の異常な反応性に起因するもののようなのです。従って、この疾患の発症機序を明らかにすることは、免疫系がどのようにして「欠陥細胞」を適当な時にのみに機能させているのか、の一端を明らかにする事につながるだろうと期待しています。そして、将来的に、この研究が多細胞生物の構成原理を明らかにすることにつながれば最高なのですが。

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