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PossibleとActual

免疫特定研究ニューズレターNo.3への寄稿、2000.10)

千葉大学大学院医学研究科・遺伝子制御学 瀧 伸介

 物理学の対象などと違って、きれいな仮説とそこからの演繹で押し通せるほどに、生物は美しい法則に則って作られてきたわけではない、という印象を、免疫系を相手にしていると強く感じる。うまく行かなかったものを捨てて、とにかく少しでもうまく行くものを残しつつ、不断の「改良」を試みながらともかくも生き残ってきたシステムを相手にしているのだから、当然と言えば当然かも知れない。「失敗した」システムだって、生物の機能である限りは生化学的には正当なものであったに違いなくて、ただ、個体の生存というメタレベルで僅かばかり他より不利であっただけなんだろう。

 例えば、BALB/cマウスがLeishmania感染にsensitiveなのは、抵抗性の系統(C57BL/6など)と比較して、よりTh2優位な免疫応答をしてしまうからだという有名な話がある(この違いを説明する背景遺伝子は未だはっきりと同定されては居ない)。Leishmaniaが徘徊している環境に居たならば、この二つの系統のサバイバルレースの決着は見えている(もちろん、他の要素は考えに入れない、という条件の下で)。けれども、BALB/cマウスのCD4 T細胞がTh2優位に分化する際にだって、個々の素過程はちゃんと生化学的に正当なものであるのは間違いない。別にIL-12がIL-4受容体に結合する訳ではないだろうし、Stat4の標的遺伝子が、Stat6のそれと入れ替わっているわけでもあるまい。多分、ある遺伝子の変異(ポリモルフィズムと呼ぶべきだろう)によって、Th1/Th2バランスを「正常に」(Leishmaniaとの関係においてのみ!)保つためのいずれかの素過程が動かなくなっているのだろうけれども、それだって生化学的に許されないからこそ動かないと言う点で「正当」なわけだ。種の進化というのはそういう生化学的に真っ当だけれども、いまいち効率が良くなかったり、周りの状況に対してちょっと的はずれだったりする連中を淘汰しながら行われてきたのだろう。逆に言えば、進化の過程で、多くの「正当」で「可能」な生化学反応が採用されなかったり、捨てられてきたりしたことになる。

 だからこそ、ある酵素や転写因子を本来発現していない場所や細胞種で人為的に高発現させてやったり、in vitroで高濃度のサイトカイン中で培養したりすると、実際に体の中では起こっていない出来事が実験的にちゃんと起こせることになる。例えばIL-2を加えてやることで骨髄からNK細胞を分化させることが出来る。だけど、IL-2を欠損するマウスでもNK細胞の分化は障害されない。この現象は、IL-2の働きが、それとレセプターの一部を共有するIL-15によって補償されているからだという、いわゆるredundancyで説明することは出来なくて、IL-15の方を欠損させてやると今度はNK細胞の分化が障害される。つまり、IL-2は生化学的にはNK細胞の分化を誘導できるけれども、マウスはIL-2にその機能を発揮する場を与えることをしていないわけだ(末梢での活性化や増殖に関してはこの限りではないのだろうけれども)。もう一つ、SykというキナーゼはIL-2受容体のサブユニットに結合して、下流のシグナル伝達に寄与できる。だけど、Sykを欠損するマウスから取ったT細胞はちゃんとIL-2に反応するようである。このパズルにもシンプルに答えることが出来るようで、末梢のT細胞はそもそもこの「生化学的に可能な」反応を実は使っていないから、となる(間違っていたらごめんなさい)。この他にも、たとえば、人為的に高発現させてやった場合にはある機能を発揮する分子が、ある細胞種で存在する濃度ではその機能は現し得ない、とか、別の細胞種では他の共役分子が同時に存在しないためにちっとも働かない、といったこともあるんだろうな、と容易に想像できる。そういった「反応」は使おうと思えば使えたのだけれど、「採用」されなかった(もしくは採用して失敗した)わけだ。

 こういう例は、だけど「間違っていた」として捨て去られるものでは、決して無くて、むしろ免疫系がどうやって作られているのか、どうやって残ってきたのかを探る為の貴重な材料になる。こと免疫系のような、進化のプレッシャーを直接にうけてきた個体レベルのシステムを相手にする場合には、生化学反応の「特異性」だけではなく、何を使って何が使われなかったか、ある細胞は使うけど他の細胞は使わない、ある時期にはこちらを、別の時期には別のものを使う、といった「選別」もまた大きな問題になるんじゃないだろうか。「可能な」素過程については、一見したところ昔見た代謝マップのような様相を呈するに至っているシグナル伝達経路や、多くのサイトカイン、細胞種の錯綜した細胞間相互作用の図を見れば、いかに多くのことが明らかにされてきたのかを実感できる(ヒトの染色体の物理マップもそう)。

 ただ免疫系を理解しようとする者としての喜びは、例えば有機化学者が新しい反応経路を見いだしたときの喜びとはちょっと違うんじゃないかと思う。どの経路がいつ、どこで、どういうコンテクストで使われているのかを明らかにしないうちには、ケッコウというわけにはいかないだろうし、逆に言えば、それが生き物を相手にするものの特権でもあるわけだ。ここ数年、転写因子の免疫系における機能を、その不在によってもたらされる異常を解析することで探ろうとして来た(この研究領域でもその線でお世話になっている)。転写因子というのはまさに上で述べてきた問題を体現していて、「possible」と「actual」が簡単には一致しない。我々が相手にしているのは、気ままにつまみ食いをして結果オーライでやってきたようないい加減な奴なのだから、こっちの戦略も一様では済まないだろう。先は長いかも知れない。

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