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「かつて」の若手にも優しく

(内藤記念財団年報への寄稿)

信州大学大学院医学研究科・移植免疫感染症学・教授 瀧 伸介

 2000年に初めて科学奨励金をいただき、以来10年、昨年秋に「先輩受領者からのメッセージ」を依頼されていたのだが、「先輩」かぁ、何かしゃれたことを書かなきゃな、と自分にプレッシャーをかけて(言い訳)後回しにしていたら、あっという間に締め切りが過ぎてしまって、結果的に恩を仇で返したことになってしまった。年が明けて今回の贈呈式の案内をいただき、重ねて失礼するわけにはいかん、というわけで出席させていただいた。都合が合わなくて欠席されている受領者もいるのを式場で発見して、何だ自分の方がちゃんと恩義をわきまえているじゃないか、と、単にその頃ヒマがあっただけなのに、少しだけ残っていた心の痛みを払拭できたように感じていた。ところが、その時に配布された時報を見ると、先の「先輩・・・」にちゃんと寄稿している方々がいて、何とか追い出しに成功したかに見えた後悔の念がまた再びよみがえってきた。そうだ、「助成金の贈呈を受けて」の方の依頼が近々来るはずだから、そっちをちゃんと出そう、やっぱり義理を欠いてはこの世は・・・というわけで今これを書いている。

 実は、内藤財団のお世話になるのは、ありがたいことに2005年度に続き三度目である(ということは、また5年しないうちに「先輩・・・」の依頼が来るのか...次は書きます...できるだけ)。こんなに何度も助成してもらったのは文科省とここだけである。あっちは何だけど、こちらの助成の額は次第に大きくなっていて、今回は10年前の倍以上である。財団の研究サポートへの情熱の賜であることは勿論として、一方でそれだけ研究にお金がかかるようになったのかな、と思う。私は免疫学の分野で細々と研究をやらせてもらっているのだけど、自分が学生だった頃に比べると、ラボにはその頃には存在しなかった分子生物学のキット類が氾濫しているし、2、3系統の純系マウスがあれば通常の実験はできたのに、今ではその他に各種の遺伝子改変マウスを揃えなければ良い仕事をまとめるのが難しくなっている。民間財団の助成金というのは、皆さん感じているように使い勝手の良い資金で、研究に必須だけどなかなか公的なお金では買うことが難しいものを揃えるのに重宝なのだが、うちでは動物関連にも大きく貢献してくれている。たっぷりと間接経費の付いた大型研究費をお持ちのラボならいざ知らず、地方大学の小さな研究室には本当にありがたいのである(2005年にも同じようなこと書いたな)。なので各種の助成金にはできるだけ応募したいのだけれど、最近は「若手」というのがまるで黄門さんの印籠のようで、応募に年齢制限があるのも多く、つい、我々の世代は割を食ってるんじゃないかと僻んでしまう。若いときには「若手枠」なんてそんなになかったよな、で、若手ではなくなったら今度は、あんたはもう歳食ってるからダメだよ、というのはいかがなものなのだろう。この科学奨励金には年齢制限はない。財団の矜恃(なのかどうか本当のところは分からないけれど)に拍手を送りたいところである。とはいえ、実は「このたびは○○助成金にご応募いただきありがとうございます。誠に残念ながら・・・」というお知らせをもらうことが真の問題なのだ。良い仕事しなきゃ、ということである。

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