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巻頭言 電子出版雑感

(信州医学雑誌への寄稿 2013年4月)

信州大学医学部・免疫制御学・教授 瀧 伸介

 1年半くらい前にソニーの Readerを買った。タブレット端末ではない電子ペーパー式の電子書籍リーダーの話である。この期間,入っている電子書籍の数はそんなに増えていない。その後,他社の同様なデバイスも次々と発売されていて,かねてから噂になっていた電子書籍の巨人 Amazonの Kindleもつい最近上陸した。対抗してソニーも後継機種(というか単に対抗上値下げしたような機種)を出した。まだそんなに使い込んでないし,値段も現行最安デバイスの2.5倍もしたのに,電子デバイスの宿命とは言え,もう旧型かよ,というのが正直なところだ。でも肝心な電子書籍のレパートリーは,本邦における著作権システムの問題なのか,出版社の了見の狭さ故か,なかなか充実してこない。そんな中,この夏から早川書店がその伝統の SFとミステリの旧作を順次電子出版化している。「長いお別れ」,「1984」や「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(「ブレード・ランナー」の原作)などに加えて,「火星年代記」そして「華氏451度」が含まれている。「華氏」については,トリュフォーが撮った映画もあるし,その制作日誌が「ある映画の物語」として出版されていて,映画監督ってのはずいぶんと細かいところまでコントロールするんだな,と言う印象が記憶に残っている。そう言えば,著者のレイ・ブラッドベリは昨年(2012年)亡くなったんだった。「華氏」は本が禁止されている未来の話で,華氏451度とは紙が燃え始める温度。存在自体が違法である本は firemenによって焼かれる(本来 firemenは消防士だけど,この作品では文字通り本に火をつける職業であるというシャレなんだそうだ)。本を守る人たち(Book people)は一人一作を決めて丸暗記することで文学作品の亡失を防ぐ。この作品は,昔,口承で伝えられた「ものがたり」へのノスタルジックな思いが底流にあると考えるべきだろうから,そう言う意味では同じ「メモリー」に本の内容を記憶するのであっても,人の脳と半導体では全く方向は逆で,むしろ紙の本を時代遅れにしてしまう可能性を持つ電子書籍として「華氏」が出版されるというのは,一種アイロニカルだとも言えるだろう。

 話は変わる。本棚に「発生における遺伝子調節」(共立出版)というタイトルの本がある。タイトルはモダンっぽいけど,新しい本ではなくて,初版出版は37年前(原書の発行はそのさらに2年前),私のは1978年発行の初版第2刷で,学生の頃に買ったものである。この本の著者はJ.B.Gurdon,昨年京大の山中教授とノーベル賞を共同受賞したケンブリッジの生物学者である。いまでは当然絶版になっているのだろう。では,Gurdonさんの受賞を機にこの本を電子出版するか?というと,まあしないだろうし,私だってこの本をもう一回最初から読んで見ようとは思わない。古典として価値があるシェークスピアや夏目漱石は,繰り返し出版され,グーテンベルグ・プロジェクトや青空文庫などの無料の電子書籍アーカイブにも収録されているのとは対照的で,自然科学の論文やモノグラフは新鮮さがその価値の大きな部分を占めるのである。我々の世界ではすでに論文のほとんどすべてがオンライン出版される。おかげで,ジャーナルがのんびり船便で送られてくるので,西欧諸国と比べて情報が遅れるということが無くなってきたというメリットがあるし,古典的な仕事に関してだって,Watson & Crick の論文(Nature,1953)や,やはり歴史的に重要な Averyの肺炎球菌の論文(J Exp Med,1944),Messelson & Stahlの半保存的 DNA 複製の論文(PNAS,1958)が図書館の書庫の奥に行ったり,マイクロフィルムリーダーの前に座り込んだりしなくても,自分の PCから無料で読めるという便利さもある(読んでも今の研究に役に立つ訳ではないけれど)。一般の本に関しては,やっぱり紙に印刷されたものでなくては,というような意見も多いけど,こと科学の論文に関してはずいぶん良い環境になったものだと素直に喜ぶべきだろう。とはいえ,一方で,いわゆる open-access問題がある。オンライン・ジャーナルのアクセス料金は値上げに次ぐ値上げでかさむ一方だし,その存在すら知らないようなジャーナルを抱き合わせにしたパッケージ販売も横行している。このような科学出版社のビジネスモデルに対して,納税者の負担である研究費に支えられた成果が一部の私企業に独占されて良いのか,という反論があって,米 NIH や英国ウェルカム・トラストなどは,そのサポートした研究の成果を,遅くとも1年後には無償で公開する義務を課している。が, high prestige journalsのうちいくつかではいつまで経っても無償公開にはならないし,一定以上に古い論文についてはさらに別料金を払わないと閲覧できないという場合すらある。昨年の初め米国議会での自らの既得権益を保護しようとする出版社のロビイ活動(これは多くの科学者のボイコットなどもありつぶれた)や,イギリスでの公共の funding による研究は openにすべきだという法案の提出など,科学論文の open-accessは政治問題のひとつとして,専門誌だけでなく Guardianや New York Timesなどの一般紙も採り上げる問題になった。こういった流れに対応して,最近では,PNAS や Bloodなどのアメリカの科学関係の学協会が出している journalでは,出版後半年〜1年を過ぎれば誰でも読める様にするのに加えて,著者が追加のお金を支払うことで,論文単位で始めから open-accessに出来る様にしている(「ハイブリッド・ジャーナル」とか「Gold open access」と呼ぶらしい)。Natureや Cellといったトップジャーナルでは,本誌は完全な open-accessにはなっていないが,高い publication fee(Cell reportでは5千ドル, Nature communicationsでも同じ額,日本円で払う場合は637,350円!)を取る openaccess,online-only journalを別途発行している。ウェルカム・トラストなどはこのために別途予算枠を設定して即時の情報公開をサポートしているらしい。すべての雑誌が open-accessになれば,図書館は雑誌を購読する予算を計上する必要がなくなって,国家はその予算を研究費に回せるのだから,たとえ有料で open-accessにしても結果的には納税者のコストは同じなのだ,というのがハイブリッドモデルの主張である。イギリスでの試算では1論文当たり3,000米ドル払うようになってもトントンなのだそうである。日本の研究費では,成果の公開に関する義務は今のところそれほど strictではないので,無理に open-accessオプションを選んで高い金を払う必要は無いのだが,将来この流れが加速して欧米の研究者はみんな自分の仕事を open-accessにする予算を持っていることになったら,彼ら,彼女らの所属する研究機関は有料の subscriptionを全面的に止めてしまうだろうから,open-accessでない論文は誰も読まない(読んでもらえない),ということになるかも知れない。出来るだけ多くの研究者に読んで評価してもらおうと思ったら,open-accessのコストを研究費から支払うことになるのだ。ますます研究には金がかかるようになるということである。やれやれ。

 

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