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免疫系のアルケオロジーあるいは理学部出身者の免疫学について

日本免疫学会ニューズレター11号への寄稿、1998.7)

東京大学大学院・医学系研究科・免疫学講座 瀧 伸介

 もう20年くらい前になってしまった.当時,理学部の 生物学の学生の間での大きな話題の一つは,今でもそうなのだろうけど,何を研究テーマにすれば将来もっとも 面白いか,という事だった.理学部のペダンティックな学生は,Stentは,MonodやSchroedingerとともに当然 読んでいて,だから「分子生物学は終わった」というよう な言辞も,それを口にするとき,少しだけ先を見ている気分にさせてくれる少なからず痛快なものの一つだった し,Watson の教科書は整然として,まるで古典力学の教科書みたいで,もう先はないように思えた.というわ けで,分子遺伝学に進もうとする同級生を横目で見ながら,これからの学問だと信じていた「多細胞生体の発生」 においてキーになる(と思われた)細胞間相互作用を,当時その中心的課題として掲げていた免疫学に進んだの である.でも分子生物学はもちろん終わったりはしていなかった.だから,である.今そう簡単に,免疫学が終 わったと信じるわけにはいかないのである.  

 いわゆる自然免疫について考える機会が多い.より新 しい形の獲得免疫系(これこそが70年代後半からの「免疫学の黄金期」,免疫学の方から見ると「免疫学の浸透 と拡散」の主なテーマだった)は,神経系や内分泌系と影響しあっている一方で,自然免疫と入り交じりながら, 実はそれに支えられていると言える.多細胞生体の複雑化し,特殊化した機能諸系は言ってみれば博物館のよう で,かつては主役として活躍した諸機能が現代のモノ達と一緒に展示されている.ただ,博物館との決定的な違 いは,すべての展示物が今も機能しているということにある.現在の免疫系は,進化の過程のどこかで有効であっ たものを捨てず,それを利用し,あるいは改変する形で新たな機能を次々と付け加え,つぎはぎだらけになりな がら,何とかうまくやってきた結果なのである.新しい機能をつけ加える際に使われた材料は,それまで生体防 御の要素であったものでもよかったし,まったく別の機能に使われていたものであってもよかった.この意味で, 免疫系もまたJacobのいう進化における「ブリ・コラージュ」の産物であるという事から逃れられてはいない. 無理やり「終わった」学問を探すとすれば,それは免疫系という博物館の一番新しい展示物の学問だろう.ある 局面では現在でも主役の座を守り続け,「他の生物に対して個のアイデンティティー」を守るという免疫系の目 的の遂行のために必須な,別の「古い」サブシステムが, 今開示されつつある.  

 次に来るのが免疫学の「第二の」黄金時代だとすると, 第一期は北里以来100年近くの間続いたことになる.免疫系は結局,個体レベルのシステムだなぁ,というのが, その最後の15年あまり,ほとんど何の貢献もしないままにこの分野と付き合わせてもらった理学部出身者の今の 印象である.人間の体は(個々の細胞が酵素の詰まった袋ではないように)リンパ球のぎっしりと詰まった袋で はなく,免疫系は明らかに時空的な広がりを持つ「構造」 を構成している.だからこそ還元的なアプローチではなく総合化に至る方法論が必要とされるのだろうし,今の ままでは十分に病気を理解することができないのだろう. もしかしたらゲノムプロジェクトが何かヒントをくれるのかもしれないが,そんなには待ってられないので,自 然免疫系を含めたトータルシステムとしての「免疫系」の「構造」の再構築を,すなわち「免疫系の考古学」と も言うべき企てを,これまで実に有効に機能してきたHowとWhatの免疫学に加えて, WhenとWhereをも包含した形で試みることことから,取りあえず始めること ができれば,と思う.そして「生命の歴史は染色体に刻まれている」のだから,「免疫系の考古学」は「免疫遺 伝学」の形を取る事になるのかもしれない.あれ? これが,Klaus(Rajewsky)の言っていた「 new geneticsの時代だ」ということなのかな.

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