◎研究の背景と経緯◎
がんは、昭和56年(1981年)から我が国の死亡原因の第1位です。男性、女性ともに、おおよそ2人に1人が一生のうちにがんと診断され、男性ではおおよそ4人に1人、女性ではおおよそ6人に1人ががんで死亡すると言われています。がん細胞が転移するにあたって、原発巣、転移巣、つまりがん細胞が存在する影響はかなり解析がすすんでいますが、がん細胞は転移先をどのように選ぶのかについては不明な点が多いのが現状です。
近年、がんが転移する前にすでに遠隔の臓器に転移に有利な土壌<転移前の土壌(図1)>を作成することを明らかにしてきました。さらに原発がんより分泌される因子によって、肺において炎症類似反応が引き起こされ、この転移向性の土壌が形成されることも分かりつつあります。しかしマウスのレベルでも、がんの転移はなぜ大きな臓器の局所におきるのか、メカニズムが存在するのか不明で、ヒトにおいてマウスに見られるような現象を認める可能性があるのかは全く分かっていませんでした。
◎研究の内容◎ Primary tumours modulate innate immune signalling to create pre-metastatic vascular hyperpermeability foci. Nature Communications 4 (2013): Article number: 1853からの内容解説
私たちのグループは、担がんマウス(皮下や乳腺組織などにがんを生着させたマウス)を用いて、転移が起きる前の肺の透過性亢進部位(高)と透過性亢進の減弱している部位(低)より(
図1)、RNAを抽出して遺伝子発現を比較しました。差がある遺伝子の中で、炎症に関係する膜受容体分子であるCCR2に着目しました。そしてこの受容体に刺激を入れる分子であるCCL2とその受容体CCR2の遺伝子欠損マウスを用いて担がんマウスを作製しました。青い色素をいれて視覚化することにより、野生型のマウスの肺においてはスポット状の透過性亢進部位を認めましたが、CCL2とCCR2遺伝子欠損マウスでは透過性亢進部位はほとんど認めませんでした。これらの担がんマウスの透過性を肺全体で測定し、野生型と、CCL2やCCR2の遺伝子欠損マウスでは透過性に差がある事を確かめました(
図2)>。 次にこの透過性亢進部位が生じることが、がんの転移に関係するかどうかを調べました。原発のがんの影響で、肺に透過性亢進がおきているマウスに標識したがん細胞を静脈から入れると、野生型マウスの肺の透過性亢進スポットに一致してがん細胞が集まり、このような現象は遺伝子欠損マウスでは認められませんでした(
図3)>。さらにCCL2の刺激により誘導されたS100A8やSAA3(血清アミロイドA3)という自然免疫
注1)に関与する炎症細胞を引き寄せる因子が、血管の内皮細胞
注2)に働いて強い透過性亢進を引き起こす事が分かりました(
図4)>。またその受容体であるToll-like受容体
注3)(TLR)4/MD-2複合体は、自然免疫の中心的役割を果たしていることが知られていますが、このMD-2の遺伝子欠損マウスにおいても、透過性亢進スポットはほとんど認めず、実験的に静脈注射したがん細胞も集まらず、最終的な転移は減少していました(
図5)>。
血管透過性が上昇すると血漿中のフィブリノーゲン
注4)が組織に漏出し、炎症を生じて血液凝固を引き起こすことが知られています。マウスにおいては、透過性亢進部位に一致してフィブリノーゲンが検出され、この部位はCCR2の高い発現に一致しています。がんでなくなった患者さんの肺で、明らかな転移を認めていない肺葉において、フィブリノーゲンを認めた部分にCCR2が高発現し、S100A8の発現誘導もこの部位に認めました(
図6)>。
◎今後の展開◎
マウスのレベルでは、遠隔の原発がんは免疫に関係する因子の力を使用して、転移前の肺にスポット上に透過性亢進部位を作り出し、この部分に積極的に転移することが分かりました。患者さんの場合は、原発のがんが見つかっても、兆候のない正常な部分を採取して調べる事は行いません。今回、がんで亡くなった方の転移をしていない部分に、マウスと同じようなことが起きている可能性を見いだした事で、さらに分子疫学的な研究を行って、将来患者さんのがん転移の前や極早期転移を調べ、予防的な治療ができる可能性が見込まれます(
図7)>。
◎用語解説◎
注1)自然免疫: 獲得免疫と異なり、一般の病原体に対してただちに排除する非特異的な免疫作用
注2)血管内皮細胞: 血管の内表面覆う細胞の層で、細胞内、細胞間が緩むと透過性が亢進する。
注3)Toll-like 受容体: 細胞の表面にある受容体タンパク質で、種々の病原体を感知して自然免疫を作動させる機能を持つ。
注4)フィブリノーゲン: 水溶性で血中に高濃度で見られ、血栓形成の必要があると、フィブリノーゲンはフィブリンに変換され凝固作用を示す。