教員紹介

さとう まさとし

佐藤 全敏

日本史 准教授

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2010年夏 伊勢へ

2010年8月下旬、1泊2日のゼミ旅行にでかけました。

むかった先は、伊勢です。

 

古代史ゼミでは、ことし

『小右記』の長元4年(1031)8月のところを

読んでいます。

 

『小右記』は、当時の貴族官僚が書いた日記です。 

 

そこには、

天皇の守るはずの伊勢神宮の神さまが、

斎王という女性にのりうつり、 

「天皇は100代でおわる。先はそれほど長くない」

との「託宣」を下したという、

衝撃的な事実が書かれています。

 

斎王とは、天皇が派遣した、

伊勢神宮につかえる女性のことです。   

 

 

 

朝日につつまれる電車のなか  

 

今回の合宿では、

事件の舞台となった伊勢神宮と

それから斎宮跡 (斎王の住んだ宮殿や

彼女をささえる役所のあったところ) に行ってみよう、

ということになりました。  

  

合宿前には、現場についての予習会も行いました。

電車のなかでも、補足レジュメが配られます。 

 

 

 

 

斎宮歴史博物館に到着

   

伊勢につくと、まずは斎宮歴史博物館にむかいました。

博物館は、斎宮のあったところ(斎宮跡)のうえに建っています。

 

伊勢神宮や斎宮研究の第一人者である榎村寛之先生が、

出張の合間をぬって、

直接レクチャーしてくださいました。

 

 

  

リアルすぎる復元映像

  

斎宮歴史博物館の復元映像は、いつ見てもすごい。

右に幼い斎王、左に父である天皇がうつっています。

 

斎王は、天皇の幼い娘や

血筋の近い未婚女性のなかからえらばれて、

伊勢の地におもむきました。

 

都に帰ることができるのは、

自分が重い病気になったときか、

それとも天皇がなくなったとき。

 

別れるとき、天皇は

「都のほうをふりかえってはいけない」

と言ったことが、文献にのこされています。

 

 

  

斎王出発の復元模型

 

斎王は、500人の官僚に守られ、

また、彼らをひきつれて、

伊勢にむかったのでした。

 

 

 

斎王の食事の復元

 

 

土器に書かれた文字

 

斎王の生活をささえるため、

斎宮にはいろいろな役所がおかれていました。

 

斎宮跡から発掘される土器の底には、

墨で役所名が書かれているものもあります。

そこから、役所のあった場所がわかったりします。

 

 

 

何がみえる?

 

のぞき穴から、斎王についてのなにかが見えるようです・・・。

 

 

 

大人になった斎王にむきあう

  

 

 

斎王を護衛する武官

 

 

 

斎宮跡の発掘現場の復元

 

 

 

緑釉陶器をくみたてる  

 

 

 

 

緑釉陶器とは、平安時代の高級陶器。

斎宮跡からも、割れたかたちでたくさん発掘されています。

 

博物館内には、

その破片(模型)をいそいで組み立てるパズルもありました。

2人で競争して、時間内に組み立てられないと、

ドーンと砕けちります。

 

今回の勝負は、どうやらカタがついたようです。 

 

 

 

 

斎宮10分の1復元模型をみる

 

 

 

 

発掘現場にて

 

斎宮跡の発掘調査は、

30年以上前から続けられていますが、

それでもまた、全体の20パーセントにとどきません。

まだまだ謎が隠されているということです。

 

現在発掘中のところを、

解説していただくことができました。

 

 

解説に聞きいる

 

予習で読んできた、どの文献にものっていない最新の発掘成果。

知っている知識と想像が、

頭のなかでぐるぐるかけめぐります。

 

 

 

発掘現場を見せていただいたあとは、

すぐそばにある、いつきのみや歴史体験館へ。

ここでは、平安時代の装束を着て楽しみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあと、宿にむかいます。

宿は、伊勢湾を見下ろすところにありました。 

 

伊勢湾の朝

 

 

 

伊勢湾のさざえ

 

宿にむかう途中、

近海でとれたばかりの大きなさざえを

2こ買いました。

 

マーブルチョコが、ちっちゃくみえます。

 

 

 

 

さざえは、きっぷのいいお兄さんが

さばいてくれたのでした。

  

 

 

 

 

2日目です。

 

午前中、皇學館大学の神道博物館にむかいます。

 

 

神宮文庫正門前にて

 

神道博物館では、神社の奥で行われている行事に用いられる

さまざまなモノをみることができます。

 

たとえば、

神さまにささげる食事(神饌)の原寸模型も

ここでまとめて見ることができます。

 

 

 

 

おかげ横丁へ

  

そして、いよいよ伊勢神宮(内宮)にむかうわけですが、

その前に、ちょっと腹ごしらえ。

 

伊勢神宮(内宮)のすぐ前にある、

おかげ横丁に入ります。

 

 

おかげ横丁を探検する

 

ここは完全自由行動。

 

 

 

 

木陰で集合

 

 

 

 

宇治橋を前にして

 

この夏は、記録的な猛暑。

気を抜くと、すぐに熱中症でたおれてしまいます。

 

この日もあまりに暑すぎて、

木陰があると、

だれともなく動かなくなり、

みんな黙って休みをとります。

 

流れる沈黙。

 

内宮にはいるための宇治橋が、

遠く、長く、感じられます。

 

 

 

意を決して宇治橋を渡る

 

 

鳥居に抱きつく

 

宇治橋を渡りきったところに立つ鳥居は、

「正殿」(一番大事な神さまのいる建物)の、

「棟持柱」(むなもちばしら)とよばれる柱を

再利用したもの。

 

この棟持柱があるということが、

伊勢神宮の建物の特徴であり、

江戸時代以来の論争点のひとつなのでした。

 

 

 

 

手水舎にて

 

手と口を清めてから、いよいよ内宮の奥へ。

 

 

 

直射日光のなかにとびこむ

 

熱射のなかに、

覚悟を決めてとびこんでいく3人。

 

 

 

 

いよいよ正殿へ

 

階段をのぼりきったところの奥に、正殿があります。

アマテラス(太陽神)の鎮座するところ。

 

でも、見られるのは、屋根の先っぽだけ。

 

やっと巨木が日光をさえぎってくれます。

太陽の神さま、今年はちと暑すぎます。

 

 

 

御稲御倉を観察する

 

正殿のあるところから降りて、

左わきにある、

御稲御倉(みしねのみくら)を見に行きます。

 

正殿はほとんど見ることができなかったけれど、

同じ構造をもつ、この御稲御倉なら、

じっくり観察することができます。

 

建物の側面を、屋根のてっぺんから地上まで、

すっと一本伸びる柱が「棟持柱」(むなもちばしら)。

(画面の左端。木のかげに隠れてみえにくいですね。ごめんなさい)。

 

むかし教科書でならった、

弥生時代の高床倉庫に似てる?

  

 

 

踏まぬ石

 

正殿のちょうど裏側にある階段。

ここに「踏まぬ石」があります。

踏まないように、慎重に歩きます。

 

  

 

荒祭宮へ

 

実はアマテラスという神さまは、

とても激しい気性もお持ちあわせでした。

この激しい部分を「荒御魂」(あらみたま)といいます。

 

天皇は100代で滅ぶと「託宣」を下したのも、

このアマテラスの「荒御魂」が行ったことでした。

 

いまも昔も、荒御魂は、

正殿から切り離されてまつられています。

それが、正殿の“ま裏”にある「荒祭宮」です。

 

立地条件や地形など、

荒祭宮には、だまだ研究する余地がのこされているように

思いました。

 

それはもしかしたら、

伊勢神宮の成立の秘密につながっているかもしれない問題です。

 

  

 

 

赤福氷を食べる

 

荒祭宮を見おわって、

無事、伊勢神宮(内宮)の参拝を終了。

おかげ横丁にもどり、

赤福氷をいただきます。

 

 

 

おみやげ探し

 

最後は、おかげ横丁でお買いもの。

 

 

 

こうして暑い暑い夏の、

伊勢への1泊2日の旅はおわったのでした。

 

 

 

 

 

 

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