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おおぐし じゅんじ

大串 潤児

日本史 准教授

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満洲へ行くとは何だったのか? 

満蒙開拓青少年義勇軍シンポジウム2013・長野

映画「蒼い記憶」ポスター

   2013年10月6日(日曜日)、長野市で第4回・満蒙開拓青少年義勇軍シンポジウムが開催されました。テーマは「満州へ行くとは? 少年たちの憧れと現実」。実行委員として基調報告をしてきました。   午前中は、アニメーション映画「蒼い記憶」上映会でした。アジア太平洋戦争末期に渡満した中隊の事例を構成したアニメーションです。藤原彰さんたちが監修したマンガ版もあります( まさきまき『戦争シリーズ1 蒼い記憶』草土文化1991)。      映画のプロデューサーでもと全国農村映画協会の山岸豊吉さんのあいさつ、なかなか味がありました。   ※山岸豊吉さんは農村文化映画の著名な企画者。あの山代巴「荷車の歌」の映画製作者でもあります。

頓所中隊の証言

  午後は、長野周辺地域から満蒙開拓青少年義勇軍・頓所(とんどころ)中隊に参加した4人の方の証言を聞きました。精肉店、自作農、小作農の子ども、そして教官として参加した方の体験はたいへん興味深いものでした。教員のすすめの有無、満州へ行くことの希望、引揚の際の労苦、などです。みなさん、80歳を超えた方でしたが、お元気でした。戦後70年まであとわづかですが、体験者に「よりかかる」ことなく、このような企画を続けられるのか、重い宿題が残ります。    「大串先生、義勇軍は開拓団として入植すると「義勇隊開拓団」になる。でも実際は軍事訓練が主な生活であり、ソ連参戦後はほとんど軍隊同様の行動をした。なぜ、「軍」から「隊」と呼び名がかわったのかね」……。   すでに義勇軍研究では解明されている問題かもしれませんが、体験者は納得していません。「軍」ではないので「恩給」もなくいわば「捨てられた人びと」です。そういえば、民衆総動員の沖縄戦でも「防衛隊」「護郷隊」と「隊」なのです。「軍」と「隊」…みなさんの疑問、宿題として確かに引き受けました。   また元満州拓殖公社社員(1945年4月入社)の証言も貴重なものでした。   

満洲移民・義勇軍を子どもたちと考える

  会場には「満州移民・〈残留〉日本人の子どもたち その戦後史」を授業実践されている飯島先生のもとで学んだ子どもたちが作った「自分史」の「歴史新聞」も展示されていました。「語りつぐ方法」の模索が次回のテーマとなるでしょうか。   本島さん、斎藤さん、向山さん、飯田の皆さんとも久しぶりにおあいすることができました。お元気そうでなによりです。また、下伊那の経験をお聞かせください。

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