教員紹介

おおぐし じゅんじ

大串 潤児

日本史 准教授

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こんなことしています(研究)

「国境の島」 2013春 歴博対馬調査 その1

再びの対馬へ

対馬西岸・椎根集落の菜の花

  2013年3月27日,羽田をたち福岡を経由して対馬やまねこ空港に降り立ちました。機中で原田敬一さん、安田常雄さん、原山浩介さんと合流し、4日間にわたる国立歴史民俗博物館対馬調査がスタートしました。   歴博対馬調査の目的は、私なりに言うと次の諸点にあります。①歴博共同研究「20世紀における戦争」で提起された地方都市モダニズム・軍隊と社会・「外地という視点」をクロスさせる地域としての調査、②新たに共同研究メンバーに加わった朝鮮近代史・植民地朝鮮史・在日朝鮮人史などの専門家との討論を通じて、日韓(朝)「国境」の地域を考えてみること、③歴博第6展示室(現代)の占領から高度経済成長へと展開していくコーナーの充実を視野に入れ、そのためにも「地域社会からみた朝鮮戦争」という論点を考えるための地域としての調査、です。戦時(植民地期)から占領・戦後へと、大日本帝国の領域がどのように「解体」し、冷戦(アジアでは朝鮮戦争など「熱戦」となる)のなかで再度「境界設定」されていくのか、そこに生きる人びとの視点から考えて見る、という視角は、「20世紀における戦争」のメンバーでもあった故・屋嘉比収さんの議論から学びました(『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房2009、拙稿「民衆生活からみら占領期」『歴博フォーラム 占領下の民衆生活』東京堂出版2010)。   そして、そもそもの疑問は、かつて早稲田大学で開催されたプランゲ文庫展の準備過程でみた一枚の地図にさかのぼります。検閲を担当したアメリカ軍CCDの管轄区を示す地図では、日本列島に4つの本部(札幌・東京・大阪・福岡)、南朝鮮に1つの本部が置かれていたのですが、対馬は南朝鮮の管区に入っていたのです。単なる「線引きミス」かもしれません。この問題は依然未解決ですが、「大日本帝国」の「周縁部」「境界線」地域に設定し、その戦中戦後を考えることが、この初発の疑問を歴博共同研究のなかで考えてみることが出来るのではなかろうか。私が今回の対馬調査を提案した理由の1つです(昨年の予備調査についてはリンク先をご覧下さい)。   実際調べてみると、近世までの対馬については多くの研究があるものの、近現代史についてはほとんど研究蓄積がないことがわかってきました(とりあえずの手がかりは永留久恵『対馬国誌 第三巻 近代・現代編 戦争と平和と国際交流』「対馬国誌」刊行委員会2009)。研究の空白を埋めるという役割も果たせることになります。  厳原のホテルで宋連玉さん、宮本正明さん、愼蒼宇さんと合流。旧交を温めました。

上対馬町役場文書調査

旧豊崎町役場文書『昭和25年7月 情報簿』

  2013年3月28日。美津島町の文化センター(現在は対馬市に合併)に向かいます。ここで、事前にお願いしてあった上対馬町の近現代行政文書を閲覧させて戴きました。上対馬町(現在は対馬市に合併)は対馬島の北部、厳原に次ぐ第二の港町・比田勝を擁する地域です。『上対馬町誌』には、この朝鮮戦争時におけるこの地域の様子を記録した文書があることが紹介されていました。上対馬町行政文書閲覧の第一の目的は、その文書の所在を確認し、実際に見てみること、です。     対馬市教育委員会文化財課の田中さんには閲覧にあたってたいへんよく便宜をはかって戴きました。昨年の予備調査では見落としていたのですが、『上対馬町誌』には「史料編」が2004年に刊行されており、その編纂時に上対馬の近現代史料についても調査されていました。上対馬町は1955(昭和30)年に、琴(きん)村と豊崎町の合併よって誕生しました。その資料改題によると、上対馬町役場に引き継がれた行政文書は「旧琴村役場文書」128点ですが、豊崎町のものはほとんど存在していなかったようです。したがって『上対馬町誌 史料編』に収録されている史料も「旧琴村役場文書」の一部となります。今回は、「史料編」編さんにあたった方がご自宅に持っていたものを探していただき、閲覧することが可能となりました(結果的にはおおむね、「史料編」収録のものでした)。「史料編」には「旧琴村役場文書」は上対馬町琴支所から中央公民館に移され、同館に保管されていると記されていますが、そのこと自体、今回は確認できませんでした。   豊崎町役場でほとんど唯一残存していた文書が『情報簿 昭和二十五年七月 情報部』です。この文書が、町当局が記録した国際情勢を含む朝鮮戦争の帰趨に関する情報と、同時期の町内情報の綴です。『上対馬町誌』の基礎となる史料の現物が確認されたわけです。  豊崎町行政文書がほとんど残存せず、また「史料編」未収録の史料の所在はいまだ不明ですが、それでも、以下のような重要な論点・記録を調査することが出来ました。 ①漁業権をめぐる問題 ②要塞地帯と社会に関する記録。例えば、比田勝憲兵分駐所「要塞並軍機保護ニ関スル件御願」 ③昭和15年と昭和19年の戸数割賦課額表を用いてそこに記載がある朝鮮名を分析し、増減・所得規模の類推が可能となる。

「隠された公害」

東邦亜鉛対州鉱業所 跡

  お昼に山本和重さんが合流しました。午後は、明日のフィールドワークに参加できない人のために姫神山砲台や万関橋を見学しました。   調査を継続していた山本さんたちとふたたび合流。桟原から山を越えて対馬を西側に向かいました。いまは閉山してしまった東邦亜鉛対馬鉱山跡、「元寇」古戦場・小茂田浜と小茂田神社、椎根の「石屋根倉庫群」などを見学しました。東邦亜鉛については鎌田慧『ドキュメント 隠された公害 イタイイタイ病を追って』(三一書房1970、ちくま文庫版1991)、同「朝鮮海峡の島・対馬」『日本列島を往く(1)国境の島々』(岩波現代文庫2000)があります。『対馬鉱山史』、『佐須地区鉱害資料集』(佐須地区鉱害被害者組合・同鉱害対策青年会議編1975)があるようですが、今回は見ることができませんでした。      この夜は「割烹 八丁」で楽しいひと時を過ごしました。

対馬砲台あるき放題

  3月29日、うす曇で時たま太陽が顔を出す空模様です。今日は、一日かけて対馬内の要塞遺構のフィールドワークを行います。昨年もお世話になった小松津代志さんにご案内を御願いしました。小松さんは「対馬要塞探検部」でも活躍されている元・自衛官の方。『辺要対馬・壱岐 防人史』(対馬警備隊)や『宮本常一の足跡 壱岐・対馬を巡る』(平成21)という著作もあります。最近、『対馬砲台あるき放題 対馬要塞まるわかりガイドブック』(対馬観光物産協会)というパンフレットを作られました。このパンフレットを手がかりにすることで、対馬の要塞遺構見学は格段と容易になったようです。   厳原のホテル柳屋前に集合。早朝の便で福岡から水野直樹さんが合流。先ずは厳原港近くの山上にある陸軍墓地を訪ねます。続いて、大西巨人『神聖喜劇』の舞台としても著名な対馬重砲兵連隊の駐屯地(現在、中学校敷地ほか)、雞知(けち)の遺跡を調査しました。重砲兵連隊門柱と記念碑、忠霊塔などです。対馬要塞司令部が置かれた「軍都」でもありました。   その後、姫神山砲台を調査。ふもとの緒方集落の漁港では、思いもかけずイカ釣り漁船の船員さんから対馬のイカ漁についての話しを聞くことができました。 (その2へ続く)

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