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おおぐし じゅんじ

大串 潤児

日本史 教授

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こんなことしています(授業など教育) ゼミの活動

軍都とモダニズム 2012 日本近現代史ゼミ夏合宿・金沢

モダニズムの街

モダニズムの象徴-内灘町「粟崎遊園」本館玄関口跡

  2012年も9月になりました。今年の日本近現代史ゼミ夏合宿は金沢市に向かいます。昨年の富山に続く北陸です。   今年のテーマは「軍都とモダニズム」。旧制高校やモダンな建築、博覧会や遊園地、喫茶店・映画館・劇場・百貨店。空襲を受けず、かつ高度経済成長期にも工業化があまり進展しなかった街・金沢は1920年代以降の「地方都市モダニズム」がよく伺える街です。   同時に、陸軍第9師団が金沢城に駐屯していた「軍隊の街」でもありました。近郊には陸軍墓地があり、また戦後1950年代には金沢近郊の沿岸漁村(砂丘地)・内灘をめぐって基地闘争が展開しました。   「軍都とモダニズム」。一見、正反対に見えるこの社会・文化現象を、1つの地域社会に即して見つめてみる。今回のテーマです。   数年まえから国立歴史民俗博物館共同研究「20世紀における戦争」で金沢にはお世話になっていました。「軍都とモダニズム」については短いものですが拙稿「戦争とモダニズム」(『歴博』№169、2011年11月20日)をまとめたことがあります。一番新しい石川県の地域通史である高沢祐一ほか『石川県の歴史』(山川出版社、2000)もモダニズムの観点を取り入れてあります(本康宏史執筆箇所)。   ※といっても、金沢を初めて訪ねるゼミ生も多く。名所見学(兼六園とか)も兼ねました。   ※金沢合宿は2度目です。前回の合宿についてはリンク先を。

軍都の象徴-金沢第9師団倉庫/石川県立歴史博物館

  糸魚川へぬけて、夏の青い日本海をみながら金沢に向かいます。14:30頃、金沢に到着。まずは中心街の散策をと考え、金沢城を目指します。   香林坊駐車場にクルマをとめて、①第四高等学校記念交流館、②石川近代文学館、を見学しました。   旧制高校記念館はここ松本にあるものが有名ですが、四高記念館は、いわば「金沢の街」「金沢に暮らす人びと」と四高生の関係を展示している点が興味深く思われます。同人雑誌や映画・演劇など、名著『資料 第四高等学校学生運動史』(総合図書、1976)でもみられる貴重なものの現物が展示してあります。中野重治の名前も見えます。   地域の近代文学館のありかたについては成田龍一『歴史学のナラティヴ』(校倉書房、2012)も参照して下さい。   不安定だった天気が急に悪くなり、滝のような雨になりました。すぐ旅館に戻って一休み。翌日の『北國新聞』によれば、山間部では土砂崩れもおきた激しい雨だったそうです。   石川近代文学館の後は兼六園、21世紀美術館など金沢市内散策を予定していたのですが、だめになってしまいました。   9:00から修士論文の発表会も行いました。

風と砂の丘-内灘

内灘町歴史民俗資料館

  2012年9月2日、天気予報によれば今日も金沢は午後から雨。でも、午前中は抜けるような青空、強い日差し、入道雲。残暑はどこへやら、真夏の暑さです。   内灘町に向かいます。金沢からクルマで30-40分の近郊住宅地。日本海にむけてかつての砂丘がひろがります。風力発電の大きな風ぐるまも見えます。現在でこそ、そのような姿ですが、かつては砂丘と潟に囲まれた漁村でした。内灘の人びとは、海で獲れたサカナを金沢まで行商して暮らしをたてていました。     内灘町歴史民俗博物館は、「粟崎遊園」と「内灘闘争」をメインに展示してある資料館です。1920年代、ここに「粟崎遊園」という遊園地が誕生します。郊外電車+少女歌劇団+電鉄終点地の「遊園地」(娯楽施設)の3点セットがそろっている特色ある場所です。「北陸のタカラヅカ」とも呼ばれていました。春と秋の行楽シーズンには踊・歌・レビュー見物で、夏は海水浴で賑わいました。戦時中は軍に接収され、1950年代にいちどオリンピック博覧会場として利用されますが、以後閉園となります。現在は、ほとんど住宅地となり、本館正面のアーチだけが往時を物語っています(石川県立歴史博物館に質感・色彩ともに復元されています)。   「粟崎遊園」「内灘闘争」ともにたいへんよく出来たDVDがあり、ボランティアの方の案内で見ることができました。案内してくださった方が所属する「内灘砂丘ボランティア」のブログにも私たちが登場しています(リンク先参照)。

砂丘の村の射爆場

権現森の着弾地観測所

  内灘町訪問のもう1つの目的は「内灘闘争」関係展示の見学です。   内灘歴史民俗資料館では「内灘闘争」に関連する展示に大きなスペースをとっています。   住民たちの自己表現である「むしろ旗」やパンフレット、ビラ、紙芝居(-後部に普通ある詞書きがないもの)、射爆場やカマボコ兵舎、鉄板道路(地名としても残っている)などの様子がわかる写真。たまたま企画展として「写真でみる内灘闘争」を開催していて、貴重な写真を多く見学することが出来ました。   内灘闘争については刊行委員会編『内灘闘争資料集』(附資料目録、1989)が基本文献でしょうが、50周年の際には『証言 内灘闘争』(内灘闘争50周年記念事業会、2003)が出されています。   2012年9月22日には60周年を迎える内灘の問題を考えるため「内灘砂丘フェスティバル2012」が池澤夏樹さんの講演、古謝美佐子さんなどのコンサートなどのプログラムで開催されます。   眼下に砂浜の海岸線を見下ろす高台の草むら・権現森に「着弾地観測所」が残っていました(現存2ヶ所のうちの1ヶ所)。案内板によると、1953年アメリカ軍の砲弾試射場当時の建物で、発射された砲弾の的中率および爆発規模の確認などを行っていたようです。1957年1月まで使用されていました。   14:00に久しぶりにお会いする石川県立歴史博物館の友人が待っています。   「海天ずし」という回転寿司店でちょっと「ぜいたく」(?)な昼食をして金沢市街に向かいまいした。       (その2)へ続く(リンク先)。

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