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おおぐし じゅんじ

大串 潤児

歴史学 教授

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こんなことしています(授業など教育)

信大散歩 歩兵第50連隊

信大周辺の軍事関連史跡

歩兵第50連隊 赤煉瓦建造物

  2012年5月17日。風が少し強めの日でした。でも,雨は降っておらず,少し歩くとあせばむ陽気でしたので,全学教育機構(一般教育)授業「20世紀 信州・長野県の歴史」で信州大学周辺を散歩しました。   散歩といっても授業ですので,信州大学近辺に残る,旧松本歩兵第50連隊関連の史跡の見学です。たまたま,今回は「松本にいた軍隊」「軍都としての松本」を論ずる回でしたし,今年の受講生はそんなに多くはなく(適正規模?),引率するにはちょうどよい人数だったので,今回のフィールドワークとなりました。   日露戦争中に編成された歩兵第50連隊は,戦後,「衛戍地」を松本とし,長野県民の「郷土部隊」となっていきます。日中戦争期には歩兵第150連隊も編成し,南京攻略戦にも参加しています。   戦後,松本医学専門学校→信州大学医学部敷地となります。現在,信州大学旭キャンパスの大部分が旧松本歩兵第50連隊の駐屯地でした。

旭町へ

町名の由緒を記した石碑

  全学教育機構の建物の南側,医学部保健学科に向かうところに歩兵第50連隊時代からの赤煉瓦建造物があります。様々な説はありますが,現時点では何に使われていた建物か判然としていないようです。   現在は,医学部の倉庫などに使用されていますが,将来的には「信州大学博物館」として大学の学問を広く展示すると同時に,「地域と軍隊」「平和」の問題を考える施設になればよいと思います。   おとなり,甲府歩兵第49連隊跡(山梨大学教育学部キャンパス)に残る赤煉瓦建造物は,大学博物館とコンサートホールとして活用されています(詳細はリンク先を参照)。      信大正門を出て南に向かいます。旧歩兵連隊正門は,門柱の頭部のみが赤煉瓦建物の前におかれています。   信大周辺は「旭町」と名づけられていますが,もとの町名は「和泉町」,50連隊の駐屯にあわせて,軍隊の「旭日旗」にちなみ「旭町」を改称しました。   

松本憲兵分隊 官舎

  もう少し歩くと,松本憲兵分隊の官舎跡が残されています。   庁舎そのものは他に移転(松本税務署)し,官舎・演武場その他が民間に戦後払い下げられ,現在にまで残りました。この地域の方々が建てた案内板もあります。   時間の都合で行きませんでしたが,「こまくさ寮」近くには「射撃場橋」や「射撃場跡」(現在は公園になっています)があります。

50連隊記念碑前にて

  ちょうど1時間30分(授業時間)ぴったりのよい散歩となりました。一気に信大を抜けて,美須ヶ丘高校北側,中原町公民館のそばに「歩兵五〇連隊記念碑」が建てられています。建立は1958(昭和33)年のことになります。   時間ぎれですが,道路をへだてると長野県護国神社があり,水汲の忠霊塔や陸軍将官の墓地もあります。機会を見つけて調べてみて下さい。   松本歩兵第50連隊について,手頃な文献としては山本茂実『松本連隊の最後』(角川文庫)があります(ただし,実際には松本歩兵第150連隊を扱ったもの)。   受講生の皆様お疲れ様でした。   写真撮影は,彩音さん(一部栗田さん)にお願いしました。ありがとうございます。   

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