教員紹介

おおぐし じゅんじ

大串 潤児

歴史学 教授

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ゼミの活動

日本近現代史ゼミ 2011秋フィールドワーク 伊那市

西箕輪開拓

唐木さんの報告

 2011年11月11日,日本近現代史ゼミナール・秋のフィールドワークで伊那市に行ってきました。今回の目的は,伊那市周辺の戦争遺跡を見学することで,主に,①朝鮮農耕隊による西箕輪地域開拓,伊那第二飛行場建設跡についての実地調査,②伊那市陸軍伊那飛行場関連史跡の実地調査,の2つを対象地としました。  伊那市駅で案内していただく唐木達雄さんと合流します。唐木さんは,長野県歴史教育者協議会で活躍され,伊那市周辺地域の戦争に関する歴史,西箕輪開拓地の歴史,そして「満蒙開拓青少年義勇軍」関連で多くのお仕事をされてきた方です。    ご厚意により「羽広荘」の一室を利用することが出来,食事を済ませて唐木さんの西箕輪農耕隊についての概要および今後の課題について報告を聞きました。わずかな時間でしたが,活発な質疑・討論が行われました。1944年から約100人の朝鮮人青年を使役しての開墾作業(彼らは羅南で集め集められ,平壌で訓練の後,長野県各所に配置された部隊の一部),その現場を詳しく見学することは出来ませんでしたが,唐木さんの報告はそれを補って余りある充実したものでした。西箕輪開拓については西箕輪村開拓史編纂委員会編『西箕輪村開拓史』(西箕輪村開拓協議会、1953年)が基本的な文献です。唐木さんには「西箕輪における朝鮮の人たちの強制労働」(長野県歴史教育者協議会編『戦争を掘る』同会、1994年)があります。

旧陸軍伊那飛行場へ

飛行場格納庫跡・案内板 久保田さんの解説

 西箕輪から東山の方へクルマを走らせ,久保田誼(よしみ)さんと合流します。天竜川と三峰川に切り取られた河岸段丘がちょうどテラスのような地形を形成し,まるで航空母艦を思わせるようなこの土地に,埼玉県熊谷飛行学校分教所のための飛行場建設が開始されるのが1943(昭和18)年。飛行場建設には地域住民が動員されました。敗戦直前には西箕輪には第二飛行場の建設も始まり,工事には朝鮮人の労働者が動員されました。  小雨が降る中でしたが,久保田さんの案内と解説により,旧陸軍伊那飛行場跡地を見学,現在も残る格納庫の一部を見学しました。傾斜地で段差がある土地と,飛行場関連で整地された平らな土地との差がよくわかり,「地形そのものが戦争遺跡である」との感を強くしました。

研究の進展

弾薬庫の赤レンガ建造物 久保田さん宅にある

 旧陸軍伊那飛行場については,高校生自身による調査・研究活動の記述もふくめて久保田誼『伊那谷の青い空に 高校生の追う陸軍伊那飛行場物語』(銀河書房1995年)が基本文献ですが,伊那ケーブルTVのドキュメンタリー作品や2011年秋に開催された伊那市の戦争遺跡をめぐるシンポジウム,さらには信州大学日本近現代史ゼミナールともゆかりの深い金廣烈さん(大韓民国ソウル特別市・光云大学校)の「伊那市の旧日本陸軍飛行場跡地を訪ねて」『伊那路』52-8(2008年8月号)などの成果が最近出されています。  見学の後、上の原の公民館で久保田さんの伊那飛行場研究の成果と課題に関する報告を聴きました。久保田さんの地道な調査や地域TVディレクターの熱心な取材と問題意識に富んだ番組製作,こうした努力の上に,地域における戦争の姿が明らかになり,戦争遺跡の保存・利用が進みあることを実感することが出来ました。

今後の課題へ

唐木さん、久保田さんを囲んで記念撮影

 炭鉱・鉱山・地下工場などにおける強制労働についての研究は大部進んで来ました。長野県も松代大本営研究でこうした動向を牽引してきた地域の一つです。しかし,この西箕輪の事例のように(その他,朝鮮人農耕隊開墾の事例として旧穂高町有明[現在,安曇野市]があります)農村部・農業部面における強制連行・強制労働の研究は依然未解明の部分が多いことも再確認したフィールドワークでした。  お世話になった唐木さん,久保田さん,また両氏とのあいだをつないでくださった佐藤喜久雄さん,食事や会議場所を提供していただいた羽広荘の皆様に御礼もうしあげます。

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