教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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因明科研関連の報告 2015年度前期

高野山へ

 このシルバーウィークの間に、「インド仏教論理学の東アジア世界における受容と展開」(科研、基盤研究B)に関連する二つの企画が行われました。簡略にその内容を報告します。  9月19日と20日の二日間にわたる日本印度学仏教学会第66回学術大会が高野山大学で開催されました。  高野山といえば、世界遺産に登録され、外国からの旅行者にも人気のスポット。今年は開創1200年の記念にあたり、さらなる注目を集めています。  友人の研究者である酒井真道氏に便宜をはかっていただき、彼の実家である宿坊・遍照光院様に宿泊させてもらいました。重要文化財である快慶作、阿弥陀如来立像が安置された、荘厳な雰囲気のお寺です。朝・夕の精進料理もおいしくいただきました。

パネル「過類をめぐって」

 さて、学会二日目午後には、複数のパネル発表が企画されていましたが、その中に、本科研と関連する「過類(jāti)をめぐって―ディグナーガに至るvādaの伝統の解明への一視点―」と題するパネルがあります。代表は筑波大学の小野基先生。以下のプログラムで充実した発表と議論が展開されました。 1. 過類研究のこれまでとこれから(小野基、筑波大学) 2. Vādavidhiの誤難論とディグナーガの批判(小野基) 3. 『因明正理門論』と『集量論』の比較(室屋安孝、オーストリア科学アカデミー) 4. ディグナーガの誤難論の構造について(渡辺俊和、オーストリア科学アカデミー)  最初に、小野先生がパワーポイントを使いながら、誤難(jāti)とは何か、その何が問題なのか、が語られました。  インドには古来、討論術の伝統があり、立論者と対論者とが、それぞれの主張を論理的に立論し、相手あるいは聴衆を説得する技術が磨かれてきました。それらの討論(ディベート)の進行は様々なルールで支えられます。  討論では、相手側の主張に対してこちら側から、その主張や論拠に対する論難を行うことができますが、その詰問にも、正しい論難と間違った論難とがあります。この間違った論難が誤難(jāti)であり、仏教論理学の確立者であるディグナーガは、それまでの伝統を踏まえて、14種類の誤難をリストアップしました。  問題は、それらの14種類が何を基準に分類・定義されているのか、それ以前の伝統とのつながりはどうなっているのか、というところにあります。  今回のパネルのメンバーはジネーンドラブッディの『集量論注』第6章(誤難の章)のサンスクリット・テキスト校訂を行っている方々であり、その文献学的成果をもとに、これまでの研究を乗り越える知見を示されました。  最初の小野先生の発表で扱われたのは、ディグナーガ以前の伝統において、ヴァスバンドゥ(世親)に帰せられる、散逸した論書Vādavidhiの誤難リストはどうなっているのか、それと漢訳のみで残された『如実論』との関連はどうなっているのか、等の諸問題。この分野のパイオニアであるFrauwallnerの研究を乗り越える視点が開示されています。  次の室屋氏の発表では、『因明正理門論』最終偈の解釈をめぐり、特に「為開智人慧毒薬」の個所での「毒薬」とは何か、膨大な資料をもとに従来の解釈を覆す、説得力のある新解釈が示されました。その傍証のひとつとして中国・日本の因明文献も挙げられており、その先哲たちの智慧(という毒薬)が現代の研究にも必要であることが分かります。  室屋氏はまた、『集量論注』第6章のサンスクリット・テキストの情報から、『正理門論』詩節部分の第19偈から28偈までの八割近くのサンスクリットが回収できることを示されました。前日の桂先生の個人発表では『集量論注』第4章から回収可能な『正理門論』サンスクリットの情報が示されましたが、そのことと合わせて、今後、因明関連の玄奘訳評価についての包括的な見直しが進むことを予感させます。  渡辺氏は、ディグナーガの誤難の定義に登場する重要な概念nyūnaの意味に二種があること、また、ディグナーガの理解ではjātiの外延は「誤った論難」だけに限定されるわけではないこと、そして、14種の誤難は、『集量論』の定義では、場合によって正しい論難になりうること、などを指摘しました。  いずれの発表も学術的価値の高いものばかりで、コメンテーターの桂先生も絶賛です。また、フロアから発言された丸井浩先生も、このvādaの伝統を研究することの意義を強調されていました。

第1回因明科研国内研究会(花園大学)

 高野山から下山して、9月21日には、この因明科研の第1回国内研究会が、花園大学拈華館118番教室にて、以下のプログラムで開催されました。 1. 「この100年の因明学研究の回顧」(桂紹隆・師茂樹) 2. 「沙門宗『因明正理門論注』について」(師茂樹) 3. 「パネル「過類をめぐって」の総括」(小野基)  上記の発表者の他に、昨日のパネリストであった室屋、渡辺の両氏、ならびに酒井真道氏(関西大学)、佐々木亮氏(早稲田大学)、松岡寛子氏(広島大学)、小南薫氏(関西大学)、須藤龍真氏(九州大学)に参加いただきました。  最初に師氏が「明治における因明研究」と題して、特に明治期を代表する因明研究者、雲英晃耀(1831-1910)、大西祝(1864-1900)、村上専精(1851-1927)の三人の業績を当時の時代背景などと合わせて紹介されました。  インド仏教論理学の研究者は、宇井伯寿(1882-1963)の研究からスタートするのが通例のため、宇井以前の研究の伝統がなかなか見えてきません。師氏の発表はまさに目から鱗で、そこからは、現代の研究者の関心とも重なるテーマ(仏教論理学は演繹的か、帰納的か、等)を明治期の研究者たちが意識していたことが分かりました。また、室屋氏からは、同時期にアメリカで活躍していた日本人研究者Sadajiro Sugiuraについてのコメントなども寄せられました。  明治期の日本人は、多方面にわたりエネルギッシュな活動をしていたようです。

 桂氏は宇井以降の研究史を(1)漢訳で伝わった因明論書の近代的研究(宇井伯壽など)、(2)梵語原典・蔵訳を用いた仏教論理学(/認識論)の研究(北川秀則、服部正明、梶山雄一等)、(3)中国・日本の因明学の研究(武邑尚邦、師茂樹等)、(4)西蔵における仏教論理学の研究(白館戒雲等)の四点から回顧されました。  膨大な先行研究を分類してみると、(2)の分野が突出しているのに対して、他の三分野、特に(3)の分野がいかに等閑視されてきたかが一目瞭然となります。師氏が孤軍奮闘している状況ですが、今後、(1)の分野も合わせて、盛り上げていきたいものです。  続いて師氏から『東アジア仏教研究』第13号に掲載された論文「聖語蔵所収の沙門宗『因明正理門論注』について」の内容を要約してもらいました。  聖語蔵とは、正倉院に収められている仏教経典4960巻のことです。このデジタルアーカイブ化が進められる過程で、これまで一般にアクセスが難しかったテキスト群の詳細解明が進められています。  師氏は、その中の『法華略抄』の裏に記されていた文献(目録に記載されていない)が、沙門宗の『因明正理門論注』であることを発見し、『正理門論』の「無異相似」以下の個所の注釈であることを同定、さらに、そこに記載される逸文の重要さを指摘されました。玄奘が訳した二つの因明文献のうち、『因明入正理論』の方は膨大な注釈が残されているのに対し、ディグナーガの『正理門論』の方の注釈は、神泰『理門論述記』(部分)しかありません。ここにきて、この沙門宗の注釈が見つかったことで、『正理門論』研究の幅が広がることになりそうです。  最後に小野氏に昨日のパネルの総括をいただき、午後6時に散会。有意義な研究会となりました。発表者・コメンテーターの皆様、参加していただいた皆さんに感謝です

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