教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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シンポジウム インドの大地が育んだ世界認識の枠組み

プログラム

2014年11月23日(日) 東京大学本郷キャンパスにて、東西哲学対話のシンポジウムが開催されました。 <プログラム> 「因果」 発表:丸井浩 コメント:一ノ瀬正樹 「普遍と個体」発表:吉水清孝 コメント:松浦和也 「言葉と存在」発表:小川英世 コメント:出口康夫 「神と世界」発表:片岡啓 コメント:手島勲矢 特別講演「オントロジーの成立――西欧における〈ある〉と〈存在〉をめぐる思考の系譜」(中畑正志)

感想 因果&普遍と個体

「世界のさまざまな文化圏の思想を研究する仲間たちが、本シンポジウムを契機に、より一層哲学的な問題意識を共有して、自らの研究の現代的、あるいは未来的な意義を考えていくためのネットワーク構築へとつながることを願ってやまない」――基調説明にあたり丸井先生が記された通り、このような規模での東西哲学の対話の試みは、なかなかお目にかかれるものではありません。 因果をめぐる議論では、業(karman)による因果応報の考えは、東洋・西洋をとわずに共有できることが確認された後、特に「確率的因果」という考えがインド哲学にも認められるのかどうか、認められないとすれば、その因果は「規範性」として捉えることができないか、という論点が提示されました。 業の問題に関しては、インド哲学で「自由意志」を認めるのかどうか、も問題になります。マッカリ・ゴーサーラの宿命論に対峙したゴータマ・ブッダは自由意志を想定していたのではないか、とも言えますが、西洋哲学(神学)における自由意志論との比較が必要になるでしょう。 また、今回は仏教の見解にはあまり踏み込んでいませんが、アビダルマ仏教で言う六因四縁五果、ダルマキールティの因果論なども俎上にのせると、さらに面白い議論になりそうです。 ミーマーンサー学派のクマーリラが主張した「個体と普遍の非別体論」の祭事哲学的背景、ならびにアリストテレスの形而上学との比較が鮮やかに提示されたのが、「個体と普遍」セクションです。 西洋中世の普遍論争の背景に神の存在、人間の存在をどう捉えるか、という宗教的な要請があったのと同じく、クマーリラの個物(vyakti)論も、個人の個別の祭式行為とアーリア人社会に共通する規範との重なり方という問題意識に裏付けられたもののようです。なるほど。(今回はアリストテレスとの比較が中心でしたが、続編があれば、中世神学との対話を見たいものです。)

言葉と存在&神と世界

「言葉と世界」セクションでは、インドを代表する言語哲学者バルトリハリの見解が紹介され、事物の世界と意味の世界の峻別、外界の存在(二次的存在)と心的存在(二次的存在)の峻別を前提として、「ある」(asti)の分析に二次的存在性が深く関与することが指摘されました。 これを受け、出口先生からは、現代の分析哲学の研究者の中には、中国哲学、仏教哲学などを対象として真剣にその分析哲学的な意義が論じられていること、インド哲学に対しても同様に試みが期待されることがコメントされました。哲学史的背景、文化的背景の違いを超えて、〈哲学〉としてのインド哲学の価値が見出されなければならないわけですが、そこに向かってどのようなロートマップを作るべきか、今後、真剣に話し合われるべきでしょう。 「神と世界」セクションでは、シヴァ教獣主派(パーシュパタ)の神・人・世界からなる三元論とその背景となるサーンキヤ学派の二元論、その展開としてのシャイヴァ・シッダーンタの学説などが明瞭に整理された形で提示されました。 コメンテーターである手島先生は、神概念、ならびにそれに関連する諸術語の訳語をしっかりと考えていくことが、奥行きのある比較哲学(神学)の対話をすすめるために必要である、と論じられました。まさに、それはその通りで、未来の比較哲学の研究のために、術語レベルで、双方の見解の違いを詳細にか確認していくことが必要になるでしょう。この点では、古今東西の哲学を俯瞰できる『岩波 哲学・思想事典』がその足掛かりを与えてくれそうです。

特別講演&総括

中畑先生の講演では、今回のシンポジウムの柱になるもので、普通に「存在論」と訳してしまうOntologyという術語について、また、存在論の中心にあるウーシアーという概念――「実体」(substance)と訳してしまっては、その本来の意味が消されてしまう――について、詳細な哲学史的な検討が加えられました。 このことと関連して、individualという概念についても、その「不可分性」というニュアンスと、普遍に対峙する「個別のもの」というニュアンスの混ざり合いをご教示いただき、個人的に(!)得るところが大きかったです。 このようにして、午前10時から午後6時まで、密度の濃い議論が展開されました。最後に、桂先生の総括のコメントが印象的でしたので、その趣旨を紹介しておきます。 比較哲学の泰斗・B・K・マティラルがオックスフォード大学から大著Perceptionを上梓したとき、西洋の哲学者たちからは真剣な応答を得ることができなかったことを思い返すとき、今回、西洋哲学の先生方が真剣にインド哲学研究者の議論に応答してくれたことを嬉しく思う。 確か、そのような趣旨のご発言だったと思います。この試みがさらに継続し、発展することを念じてやみません。

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