教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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第23回国際哲学会議に参加して

弾丸ギリシャ旅行

一番右がハーバーマス

富士山が世界遺産に登録され、「弾丸登山」なる言葉がニュースで報道される中、「弾丸ギリシャ旅行」で、全世界の哲学者(?)が一同に集う祭典、「国際哲学会議」(World Congress of Philosophy)に部分参加してきました。 会議そのものは、8月4日~10日の日程で行われましたが、学部のオープン・キャンパスの準備などもあり、8月5日~8日の3泊4日(実質、6日~7日の2日のみの参加、飛行機での移動に2日)という無謀なプランとなったわけです。 旅行代理店の人からも「アテネに何をなされに行くんですか?(=お客さん、観光する気あるんですか?)」と不思議そうに聞かれました。「世界中の(ヘンテコな)哲学者の集まりに参加するためです!」と胸を張って答えることもできず、「ええ、まぁ、えへへ」と笑うのが精一杯だったわけですが…。 長時間のフライト(フランクフルトで乗り継ぎ)を終えてアテネに到着したのは、午後9時頃。タクシーの運ちゃんにギリシャ経済のことなど聞くと、「昔は貿易関係で働いていたのに、今はタクシー運転手さ。困ったもんだよ」と生々しい現実を教えてくれました。 心配されたのは治安の悪さ。けれども、車窓から見る限り、さほど物騒な感じでもなかったので、ホテルの周りを軽く散策。露店でビールを買って、公園で夜空を見上げながら、軽く一杯。 弾丸ツアーのはじまりです。

トイレでの邂逅、そしてアクロポリスへ

会場となるアテネ大学は、宿泊先のホテルから歩いて行ける距離…、だったはずですが、大学の門のところでは参加者らしき人たちが、皆、バスを待っている様子。 それもそのはず、正門から見る限り、小高い丘があるばかりで、建造物らしきものが見当たりません。バスに乗って到着したのは、School of Philosophyのモダンな建物。中には(ヘンテコな)哲学者のみなさんがてんこ盛り。誰が誰だか分かりません。 誰か知った人を見つけないと大変だぞ、でもまぁ、まずはトイレにでも行っておこう、とトイレで用をたしていると、隣にカウボーイ・スタイルのヘンテコな人がやってきました。 絶対、目を合わせちゃいけない、と思いつつも、怖いもの見たさでよく見ると、同僚の三谷先生でした。地獄に仏、というか、地獄にカウボーイです。 おかげで、初日のハイライトとなる、ユルゲン・ハーバーマスの講演、そして分析哲学・言語哲学の大御所ジョン・マクダウェルを中心とする「知識と理由の空間」(Knowledge and the space of reasons)の部会を聴講することができました。 さらに、三谷先生の案内でアクロポリスの遺跡を見学。 プラトンの著作でしか知らなかった古代ギリシャの世界が目の前に広がります。紀元前5世紀頃に建設されたパンテノン神殿の巨大な列柱の向こうに広がる白い街並み、そしてそのまた向こうのエーゲ海の青い海。強い風が吹きつける中、石材を風よけにして、とりあえずビールで乾杯。 日没が遅いので、夕方なのに、明るい陽射しの中で観光できました。

キャンセル続きの発表、そして打ち上げへ

翌7日午後は、自分の発表も含め、知り合いの人たちの発表が重なる、会議の山場でした。 午前中のうちに、末木先生から「見といた方がいいですよ」と言われた国立考古学博物館を見学。 ミケーネ文明などが栄えた時代からローマ時代まで、芸術の変遷を見ることができ、簡単に感想をまとめられそうもありません。 午後に会場へ。 この日の仏教哲学(Buddhist Philosophy)の部会は、以下のラインナップ(の予定)でした。 1. Chinese Buddhist philosophy (Hans-Rudolf Kantor, Taiwan/Germany) 2. Buddhist eschatology and the image of Manjushri in medieval Japanese philosophical texts (Elena Lepekhova, Russia) 3. Yi (逸): The heritage of Dhyāna in the Chinese philosophy of art (Tae-Seung Lim, Korea) 4. Deconstruction deconstructed: A study of Ajahn Chah in the light of Derridean philosophy (Dipti Mahanta, Thailand) 5. On sattopalambhavāda or an Indian version of “esse is percipi” (Shinya Moriyama, Japan) 本来ならば質疑応答まで入れて一人20分の予定。が、なんと3名がキャンセル。 というわけで、司会の末木先生もお困りの様子で、「時間は気にせずに」とのこと。おかげで、斎藤先生はじめ、様々な先生方とたっぷり議論(?)することができました。自分でも、最後は何を言っているのか、分からなくなってましたが…。

休憩をはさんで、次は斎藤先生が登場するセッションです。 1. The meaning of “Whole being” in the “Busshō” fascicle of Shōbōgenzō (Stylianos Papalexandropoulos, Greece) 2. Nāgārjuna’s logic reconsidered (Akira Saito, Japan) 3. Buddhism today and social transformation (Prahlad Shekhawat, India) 4. Relevance of Buddhist philosophy in modern period (Ashok Kumar Singh, India) 5. An exposition of central theme of Hetucakradamaru and its hidden figures (Neelima Sinha, India) こちらも、キャンセルがあったようで、議論の時間が長めに確保されました。 斎藤先生の発表は、『中論』の論理構造をModus tollensの形式として説明する道を拓こうとされたものだったと思います。桂紹隆先生による英訳も登場した現在、『中論』研究は新たなステージに突入しました。『中論』全体にわたる論理構造の把握は、今後、大きな反響をよぶことになりそうです。 この同じ時間に、日本から参加の岩崎陽一氏によるインド哲学部会での発表、Naiyāyika-s’ theories of Śabdaprāmānya: Being interpreted as norms for assessing credibility of informationもあったのですが、会場に移動したときにはすでに(これまた発表キャンセルなどの影響で)終わっていました。 三谷先生のところも、同様の理由で、早めに部会が終わったとのこと。 終了後、日本人研究者(仏教、インド哲学、英米哲学、現象学)の一団で市街にくりだし、ギリシャ料理を満喫し、夜更けまで「存在」だの、「個物」だの、「マイノング主義」だの、「インド哲学では樹上の猿の存在が…」だの、哲学談義に花を咲かせておりました。 まだまだ書き足りないことだらけですが、まずは報告まで。 なお、世界哲学者会議の由来などについては、渡邊二郎先生の以下の報告が参考になります。

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