教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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2月20日

 谷沢淳三先生が亡くなられて一年が経ちました。

 

 文献学研究が主流であるインド哲学の世界にあって、比較思想の観点から研究を続けられた先生の業績は、ひときわ異彩を放つものでした。

 

 そんな先生を偲びつつ、この半年、はじめて担当した比較哲学特論では、そのテーマに「インド仏教認識論における知覚論の諸問題」を選びました。

 

 これは、谷沢先生の2002年の論文「ダルマキールティに見る仏教論理学派の知覚論の直接実在論的傾向」(『インド哲学仏教学研究』第9号)に対するささやかなレスポ ンスを目指してのことです。

 

 先生はこの論文で、仏教認識論の中心人物であるダルマキールティが説いた自己認識論は、大きなアポリアを抱えていることを指摘されました。

 

 この理論を突き詰めると、従来、観念論的傾向をもつものとされたダルマキールティの認識論には、直接実在論的傾向があることになるというのです。直接実在論を攻撃し続けたはずのダルマキールティが、いつの間にか相手の立場になってるよ、というわけです。

 

 ダルマキールティ研究者にとっては、まさに寝耳に水の話で、私も最初は「そんなはずあるわけないでしょ」と思いました。そして、テキストを改めて読んでみたわけです。かなり根性いれて。

 

 結果、確かに、これは困った問題だな、と思うようになりました。躓きの石は、ダルマキールティが言う自己認識の理論の複雑さにあります。これまで研究者が整理した図式は、その一面を捉えただけだったのだと思い知りました。何事も分かりやすい話には要注意ですねぇ。

 

 というわけで、授業でこの問題を扱いながら、谷沢先生も比較の俎上にのせた感覚与件論なるものにも首をつっこんだところ、見事に泥沼にはまりました。答えのないところを考えながら、行きつ戻りつ、しどろもどろの授業だったと反省しています。

 

 でも、やってる本人は楽しかったので、「比較思想って楽しそう」という雰囲気だけは伝わったかもしれません。あらためて谷沢先生の偉大さを噛みしめつつ、「でも、先生とは違う方向で比較思想なるものの行く末を見定めなきゃいかんよね」と決意をあらたにしたのでした。

 
 まぁ、そんなこんなで授業の反省モードに入っているところ、谷沢先生の薫陶を受けた四年生が一人、東京大学大学院(インド文学・インド哲学・仏教学専門分野)へ合格したとの知らせが飛び込んきました。
 

 谷沢先生のご霊前にこの朗報を伝え、「彼もまた、先生と同じ道を、違うスタイルで歩き続ける研究者になるんですかねぇ」なんて話しかけてみました。写真の先生は、いつものようにただ笑ってるだけでしたけど、「お前よりましだよ、俺が教えたんだからな」という声が聞こえたような聞こえないような…

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