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いいおか しろう

飯岡 詩朗

英米言語文化 教授

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コミュニティシネマ

映画はやはり大衆娯楽ではない

 

jamaica1.jpg 松本市内の喫茶クラクラで『ジャマイカ 楽園の真実』の上映が行われている(『ジャマイカ 楽園の真実』松本上映実行委員会主催・松本CINEMAセレクト協 力)。10月21日から23日の3日間、6回上映で、2日目の22日は、実行委員会の中心である鈴木慎一郎さん(人文学部助教授)によるトークとレコード プレイなどもあったためか、セレクトの集計によれば若い世代を中心に予想を上回る動員があったという。(写真は、上映終了後の様子。手前にプロジェクタ、 奥にDJブース。)

 

 

 

 

 

 

 

 

jamaica2.jpg 『ジャマイカ 楽園の真実』は、グローバリゼーションの進展により構造的に困窮を強いられているジャマイカの現況を描く硬派のドキュメンタリーである。IMF、世界銀 行、WTO、NAFTAなど、経済・政治に関する専門的な用語が頻出するため、この作品を見るだけで、ジャマイカの置かれた状況を精確にとらえるのは困難 だが、少なくとも、そこで描かれるジャマイカの問題がけっしてジャマイカにとどまる問題ではないということは十分に認識できるだろう。そうした意味で、 テーマ的にはきわめて現代的である。一方で、形式的には、どちらかといえば(たとえば、ビル・ニコルズ(Bill Nichols)によるドキュメンタリーの表象モードの分類にならえば、説明的(expository)モード寄りの)オーソドックスなドキュメンタリー であり、現代的とはいえない。 では、この喫茶クラクラに集まった多くの人々は何に惹かれて集まって来たのか? もちろん、テーマの現代性(actuality)もあるだろうが、それ 以上に音楽の力が大きいだろう。ここでいう「音楽の力」とは、『ジャマイカ 楽園の真実』の中で使用される音楽の力というよりも、上映の合間に行われるレコードプレイの力、音楽イヴェントが行われる場所の力である。つまり、乱暴に 単純化すれば、『ジャマイカ 楽園の真実』の観客の大半は、「音楽好き」であって「映画好き」ではない、ということだ。これは、会場にいたセレクトのメンバーとも意見が一致したのだ が、客層は明らかにセレクト主催の上映会の客層とは異なるし、観客の大半は、おそらく、11月の『さよならみどりちゃん』や『亀も空を飛ぶ』の上映会に訪れることはないだろう。(こんな推測ははずれた方が良いのだが。)

 

あるインタヴューで蓮實重彦が「映画はもう大衆娯楽ではない」と語ったのはおよそ10年前のことだが(『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』 n.18)、そのとき彼はむしろ(ちょうどインタヴュー時に開催されていた)「ゴッホ展」が「大衆娯楽」だとした。これは、もちろん、現代において映画を 「大衆娯楽」としてとらえようとする時代錯誤を批判したものである。別に今回の上映会を通して、「大衆娯楽」としての、映画の音楽への「敗北」を認識した ということでは必ずしもないのだが、『ジャマイカの真実』と『リンダ リンダ リンダ』の動員がほぼ同じだという事実には、「複雑」な思いがしてならない。
映画としての力は、『ジャマイカの真実』よりも『リンダ リンダ リンダ』の方が強い。(これは、ドキュメンタリーよりもフィクションの方が力があるということでは一切ない。)そして、もちろん、観賞の環境はシートが立 派なエンギザの方が上である。にもかかわらず、なのだ。『ジャマイカの真実』がより多くの人に見られ、グローバロゼーションへの理解が多少なりとも深まる のが良いことなのは言うまでもないのだが……。

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