教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

江西調査報告(3)撫州金渓

陸氏兄弟

上清宮を離れ、バスにしばらく揺られていたら、「陸氏宗祠」という碑のかかった建物がありました。中に入ってみると、陸九淵とその兄たちが祀られておりました。往路でそれを見つけていたメンバーのお手柄です。後日「百度地図」で確認してみると、この辺りは「王家」とか「劉家」とかいった地名がやたら目につきます。そして、ここはまさに「陸家」にあり、陸九淵の家筋との詳しい関係は未詳ながらも、今でも一族の誇る先人を手厚く祀っている様子が実感・実見できました。前に書いたように、ここに着いたときは大雨でしたが、参観(参拝)を終えてバスが走り出す頃には雨が止んできました。何と霊験あらたかなのでしょうか。その後、バスは鷹潭市区から撫州市区へと移動し、金渓県陸坊郷を目指しました。そこに、陸九淵の墓がある(とネットで見つけた)からです。

青田橋

途中のガソリンスタンドで詳しい場所を確認し、目的地に着きました。それ自体が歴史遺産である青田橋を渡って行った先に、陸九淵の墓がありました。「青田」という地名は、金渓陸氏と密接な関係にありますから、大感激で青田橋の写真を撮りまくりました。橋の手前辺りから、一匹の黒い犬が我々の気を引くかのように口にジュースの空きパックをくわえて、我々にまとわりつき始めました。狂犬病の恐れもあるので、多少びびりつつ歩いていたのですが、その犬はずっとつかず離れずで、先導(と解釈しうるような行動)をしてくれました。予想よりもかなり山を登らなければなりませんでしたが、黒犬さんの御陰もあって、陸九淵の墓に無事たどり着くことができました。墓道は最近になって整備されたらしく、とても立派でしたが、墓そのものは質素というか手つかずで荒れ放題というか、少し寂しいものがありました。

陸九淵墓

我々が墓参りを終えた直後、先導してくれていた黒犬さんが、墓道の階段をさかんに上り下りし出しました。この時点で空が急速に曇りだし、呑気な我々も、黒犬さんが先程来送ってくれていたメッセージの意味にやっと気づきました。黒犬さん、「雨が降るから、急げ!」ということだったんですね・・・青田橋辺りでのんびり写真を撮っていては駄目だったんですね・・・。黒犬さんの好意も空しく、あまりにも急に降り出した大雨に全員為す術もなく、全身ずぶ濡れとなりました。しばらく歩いた先にあった建物に入らせていただき、遅すぎた雨宿りと相成りました。ここで、「濡れた服は脱いだほうが冷えない」と主張する中国側と「脱いだ方が寒い」と言い張る日本側とで対応が分かれ、ずぶ濡れに対する対処法にも大きな差が出ることが立証されました。しかし、この新知見が後の研究に活きることは多分無いでしょう。

擬峴臺

「墓がショボいと思ったのがイケなかったのか?」とか「陸九淵に関する著書のある先生方が墓の前で記念写真を撮ったから、陸九淵が涙を流したのでは?」とか「あの犬は陸九淵の生まれ変わりだったかも・・・」とか、研究者にあるまじき会話をしつつ、しばらく待ちましたが、雨が全く止まないため、一本だけある折りたたみ傘を若者二人が差し、冠水している路面を歩いてバスに戻り、皆の傘を取ってきてくれました。何とかバスに戻って着替えをし、撫州市街地に向けて再出発しましたが、雨宿りと(やはりその後に待ち受けていた)道路工事の影響で、撫州市街地で予定していた調査は、翌日に繰り越しとなりました。翌朝、人民公園(かつて臨汝書院があったとされる場所で、明代の文学者・湯顕祖の墓もあります)と擬峴臺(王畿が講会を開いた場所)を参観しました。見ての通り透き通るような青空でしたが、折りたたみ傘をバスに置いておくことはしません(怖くてできません)でした。

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