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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・思想論 教授

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中国関係

江西調査報告(1)懐玉書院遺址

今年も、明代の思想家・王畿が講学活動で訪れた場所を実見する調査旅行に、科研メンバーとともに出かけました。昨年は安徽省、今年は江西省です。3年前にこのブログで書きましたが、江西には、「白酒」攻撃を受けて意識が途絶した恐ろしい思い出があります。また、料理が辛いことで有名な土地でもあります。恐る恐る参加しましたが、今回は、その方面で苦しむことはありませんでした(もちろん飲みましたし、辛かったですけど)。最も苦しめられたのは「道路工事」で、至る所で施されている工事に、足止めを食らったり、首や腰を痛めつけられたりしました。その中でも、特に、懐玉書院遺址に向かう途中、懐玉山の頂上付近で、合計3時間半もの足止めを食らったのには、本当に参りました。日本ではあり得ない近さでダイナマイトが炸裂するのを見られたりしたので、それなりに楽しながら待っていましたが。

「懐玉書院」は、現在の江西省上じょう(食+堯)市玉山県の懐玉山にありました。「山にあった」という場合、実はその麓にあったというケースも多いのですが、これは、まぎれもなく山のてっぺんにありました。宋代に「懐玉精舎」として建てられ、「草堂書院」と呼ばれた時期もあったようです。朱熹や陸九淵、呂祖謙といった南宋思想界の大物が講義を行ったといいますから、思想史的に見て、極めて重要な場所だと言えます。王畿も「懐玉書院会語」という講義録を残しています(『王畿集』巻2)。途中で足止めを食らったとは言え、ここは、バスで登っても飽き飽きするような山頂です。「百度百科」というサイトの「懐玉書院」の項には、「山の上に<大洋畈>という平地があって、土地は肥沃であり・・・」といった説明が載っており、確かに、いい雰囲気の平原が広がってはいましたが、それでも、相当な時間をかけて登らないといけない土地であることは確かです。世俗との隔絶を求める気分が、この書院をここに作らせたのかも知れません。

さて、「懐玉書院」がかつて在ったと思われる場所には、いま、不思議な建物がたっていました。「寺」と言えばいいのか、「廟」と言えばいいのか・・・。「朱子殿」という看板が掲げられたその建物では、中央に、南宋の思想家・朱熹が祀られていました。横には、神様なのか仏様なのか、私には判断がつきませんでしたが、あれやこれや並んでいました。まさに「三教合一」の宗教空間です。現代の中国で、朱熹がこのような神様・仏様と同列に祀られている空間は、さすがに稀有なのではないでしょうか。「いいものを見せてもらった」と満足して、「朱子殿」を後にしました。

なお、上で「合計3時間半もの足止めを食らった」と書きましたが、正確には、行き(上り)で1時間半、帰り(下り)で2時間です。そう、「朱子殿」を後にした時点では、行き以上の足止めが待ち受けているとは夢にも思いませんでした。結局、その後の調査地点は全て翌日にまわし、同行してくれていた中国の先生たちに、ホテルのキャンセルと別の(より近い)ホテルの予約をお願いするはめになりました。「もうちょっと下のほうで、工事のことを知らせてくれてたら、諦めがついたのに・・・」という思いと、「いやいや、このおおらかさの御陰で、いいものが見れたんだから・・・」という思いと、複雑な気分でトラクターの作業をずっと眺めていました。もちろん、脳内ミュージックは「地上の星」でした。

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