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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

中国の信州 その一

ちょっと「忙しくしている感」を演出しようと思い、ブログの更新を怠っておりました。ご挨拶をしていなかった皆さん、申し訳ございません。私、中国より無事帰国しております。帰国して、ちょうど2ヶ月が経ちました。少しは上達したと思った中国語も、あれほど濃厚だった生活の記憶も、情け容赦なく、あっという間に心身脱落してしまいました。悲しい限りです。これから、備忘録もかねて、中国の思い出をいくつか書いていこうと思います。

サバティカルの、最後の旅行で、江西省上饒市に行きました。ちょうど同時期に上海に滞在していた我が畏友T氏が「鵝湖書院を見に行く」と言ってきたので、便乗させてもらいました。共通の友人である若手中国人研究者S氏も誘って、3人で高速鉄道(まだ「G次=高鉄」が開通していない路線なので「D次=動車」)で上饒に向かいました。ちょっと覚悟して行ったのですが、駅にはピカピカのマクドナルドがあって、「なんだ、都会じゃないか」と安心しました(何度も書きましたように、私は「へたれ」なのです)。T氏が手配してくれたホテルもかなり立派で、気分上々になってきました。ホテルに荷物を置き、ホテル横の、これまた立派な商業施設で昼食を取った後、タクシーで鵝湖書院に向かいました。メーターを倒さず数百元をふっかけてくる運ちゃんでしたが(S氏が必死に値切ってくれました)、後に、とても優しい優秀なガイドであることが分かりました。1時間はかかると思っていましたが、30分強で到着しました。

この上饒は、昔、「信州」と呼ばれた地です。信州大学の禄を食む身として是非訪れたい場所ではありましたが、もちろん訪問の理由はそれだけではありません。南宋時代、朱熹(1130-1200)と陸九淵(1139-1192)という思想家が思想的に対峙しておりました。すごくざっくり言うならば、「理」を重んじる前者と「心」を重んじる後者との対立です。この両者の共通の友人である呂祖謙(1137-1181)という人が、自ら調停を買って出て、信州の鵝湖という地で公開シンポジウム「鵝湖の会」を開催しました。南宋思想史のクライマックスといってもよいこの出来事を記念して、後世、鵝湖書院は建てられました。我々がタクシーを降りると同時に、ワンボックスカーに乗った若者たちがやって来て、大騒ぎして書院に入って行きました。「こんな若者たちにも、鵝湖の会は知られているのか?」と感動しかけましたが、彼らはあっという間に立ち去ってしまいました。訪問の目的がいまいち分からなかった若者たちが去った後は、しとしと降る雨と静寂さと包まれて、じっくりと書院を参観しました。実に趣のある空間で、これまで見た書院のなかでも最も印象深い部類に入るものでした。最後の最後に、こんな素敵な場所を訪れることができた幸運に感謝しました(もちろん、誘ってくれたT氏にも感謝しました)。

この後、運ちゃんの案内で、山の上のお寺やレトロ街を堪能しましたが、この話題は後日。なお、右の写真、「窮理居敬」という額が掲げられています。まさに 「朱子学」の中心テーゼです。何となく朱熹が陸九淵にやり込められたというニュアンスで取り上げられることの多い「鵝湖の会」ですが、その後どのように歴史が動いていったか、この額が示しているような気がします。

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