教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

浙大西遷―江西吉安行(上)

竺可楨像

『西遷浙大』という本があります(浙江大学出版社、2007年。以下に記す情報の多くは、この本に拠っています)。1937年から46年までの間、浙江大学は迫り来る日本軍の侵攻を逃れるため、浙江の西天目山、建徳、江西の吉安泰和、広西の宜山、貴州の遵義などの各地を転々と移動しながら教学活動を続けました。日本の言い方でいえば「疎開」ということになりましょうか。戦時中に北京大学や清華大学などが共同で西南聯合大学を運営したことは比較的知られているように思いますが、一つの大学が、実験機器などを運搬しながら単独で教学活動を維持し続けたことは、一人の大学教員として感嘆・敬服せざるを得ません。当時、浙江大学の疎開先を訪れた世界的に有名なイギリスの科学史家は、同校に「東方のケンブリッジ」という賞賛の辞を送っています。浙江大学玉泉校区(「老浙大」)の図書館前には、卓越したリーダーシップでこの困難を見事に乗り切った当時の学長・竺可楨氏の銅像が、正門前には、「西遷」を紹介する展示パネルが設置されています。

江西吉安への旅

白鷺洲書院

10月末、江西吉安に行く機会がありました。浙江大学と縁を結んだ一人の日本人として、浙江大学の疎開先はぜひ見たいと思いました。また、江西吉安市にある泰和という土地は、国学大師・馬一浮が大学で講義を行った数少ない場所の一つであり、私は、その講義の記録を日本語に翻訳したことがある(完了していないので、もっと頑張らないといけないのですが・・・)ので、今回、吉安泰和を訪れることができて、積年の希望をかなえることができました。  まず、「白鷺洲書院」跡です。ここは、宋代以降、同地を代表する学術センターであったところで、現在は「白鷺洲中学」キャンパスの一部となっています。この書院に関する論文を執筆されたことのある日本の偉い先生とご一緒させていただいたので、非常に有益な調査となりました。なお、浙江大学は、江西に移動してきて、当初この白鷺洲にキャンパスを置きますが、手狭だったため、すぐに泰和へと再移動します。

念願の泰和

泰和六中にて

我々が泰和を訪れたのは、主に明代陽明学者に関連する遺跡を調査するためです。その点については「江西吉安行(下)」で報告したいと思いますが、そういう主目的であったため、浙江大学疎開先については車窓から雰囲気を感じるぐらいかなと思っておりました。ところが、現地でお世話くださった井岡山大学の劉徳清先生が私の希望を察知されて(これ見よがしに『西遷浙大』を脇に抱えていたのだから、「察知」も何もないのですが・・・)、陽明学関係の調査後にわざわざ浙大疎開先に連れて行ってくださいました。劉先生には衷心より謝意を表します。  現在は「泰和第六中学」になっているその場所は、思いもよらず、浙江大の西遷に関して、様々な表示・展示がなされていました。この土地にとっても、戦時中に浙江大学がやって来たことは、大きな歴史的意義をもっていたのだと分かりました。誇張抜きで、鳥肌がたつぐらい感動しました。ただ、残念なことに泰和六中で撮った写真は、その多くがぼけたりぶれたりしていました。どうしてそうなったのかは、「江西吉安行(下)」で述べたいと思います(乞うご期待!)

浙大西遷泰和旧跡

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