董 孝子廟のTさんに連れられて、恒春街という道をてくてくと歩いた。「盆景公園」という表示と大きな門があったので、「そうか、南郊公園は盆景公園に変わっ たんだ」と思ったが、あえなく通過。さらに歩くと、「市委党校」と「南都飯店」が見える。「南都飯店って、こんなに大きいのに、どうして最新版の街路地図 にも載ってないんだろう…」と思っていると、「ここだ」と言いながら、Tさんは南都飯店と川(運河)の間の細い農道を入っていく。目的の全祖望の墓は、畑 (と雑草雑木)の中にあった。
結構いろいろな思想家の墓を見てきた(中国人の友人に「何で日本の学者は墓を見たがるんだ?」と不思議がられながら)が、いちばん手入れのされていない、寂れた墓だった。釈然としない思いをかかえつつ、墓をあとにした。
ちなみに、Tさんは帰りのバスの乗り方を教えてくださっただけでなく、我々がバスに乗り込むのを見届けてくださった。寧波の歴史と文化に高い誇りをもっているTさんのような素敵な方(知っている日本語も披露してくださった)に出会えたことが最大の収穫だったかも知れない。