植物のおもしろさとは?

オオヤマレンゲ(モクレン科)

西駒演習林にて
ズミの実とツグミ

野辺山演習林にて


 フィールド実習や自然教室では、やはり動くもの(=動物、昆虫)に大半の人の興味が行くよ
うですね。

 しかし、植物の学者は、植物にこの上ない魅力を感じ、面白いと思うからこそ研究をしている
のです。
(「つまらない」と感じる授業があったら、逆に「この先生は何を面白いと思って研究しているの
だろう?」と考えると、違うものが見えてきますよ)

 では、何がそんなに魅力なのでしょうか?


●植物は動けない
 動くことのできる動物は、その場所が嫌なら、自分の意志でもっと良いところに移動すること
ができます。よって、動物では「行動」が重要なのです。

 植物はどうでしょうか。
 種子から地上へと芽が出ると、その場所が好適か不適かにかかわらず、動けない植物はそ
こで生きるしかありません。死んでしまえばそれで終わりです。せめて、次の世代はよっとよい
別の場所で生きられるように、花を咲かせて種子を作るまでは何としても生き残る必要があり
ます。
 そのため、植物は劇的に自分の姿を変えます。極端に小さくなるとか、葉が厚くなるとか、地
面を這うとか、いろいろなことをします。よって、全く同じ種(species)でも、生育場所によって形
態的に相当な違いを生じます。つまり、植物では「形態」が重要になります。
(遺伝的には決まっていないこの変化を、専門用語で「可塑性」といいます)

 植物は何も言葉を発しませんが、じつは雄弁なのです:姿形には苦労のあとが刻まれてい
て、生きざまを語りかけてくれます。私が感じる植物のおもしろさは、無口な植物から生きざま
を読み取ることにあります。


●植物・植生が今そこにあるのは長い歴史の結果
 皆さんが毎日食べている作物(米、麦、野菜、果物・・)はもともと野生植物です。野生植物が
しだいに栽培化され、収量や食味・成分などの優れたものが選抜・交配されて、現在の姿にな
ったのです。育種技術の発達は目覚しいですが、そもそも野生植物から栽培作物への進化
は、何千年という試行錯誤と検証の結果です。

 また、純然たる野生植物について、風・水・動物によって種子が長距離を移動する植物も多
いですが、年間数cmしか移動できない植物もあり、種子が運ばれたからといって繁殖できると
は限りません。過去の地形変動、人間活動なども、個々の植物の種(species)の存亡に影響し
ます。
 今、そこに見えている植生は、何十何百という植物種が共存して群落を作っているわけです
が、偶然・必然が絡み合って長い年月を経た結果、「現在はその状態になっている」のです。
完了したのではなく、今でも刻々と変化しています。
 人里や里山では、人が草刈・採集・火入れなどで手を入れることで、植生の変化は適正なと
ころに収まっていました。当然、その手入れの仕方が変化すれば、植生は異なる方向へ変わ
っていきます。公園緑地やビオトープも同じで、工事が完了したら終わりではなく、じつは変化
のスタートなのです。

 こう考えると、植物・植生を扱うことは、ひょっとすると自分の人生一代では足りないくらいの
時間的・空間的スケールなのかも知れません。このスケールの大きさに対して、自分がどんな
布石を残せるのか?という挑戦も、フィールドで植物を研究することのおもしろさの1つでしょ
う。

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